学び合う集団の最終形態は「個」です

私は子どもたちに「『一緒に学ぶこと』を学び合いとは言わない」とよく言います。学び合う集団の最終的な姿は「個」の確立だと考えるからです。
 
哲学を学ぶうちに、人間の人間たるものは「個としての強さ」なのではないかと考えます。友達が大事だとか、心の友だとかそんなものは社会によって価値づけられたものであって、人間とは本来もっと強い生き物なのではないかと思うようになりました。
 
ですから学び合う集団の軸とは何かを考えたときに、それは一人一人の個でなければならないのではないかと考えるようになりました。そうなると子どもの学びの深さとは、個として世界を人との関わり合いの中でどれだけ広げ、深められるかが学びなのではないかと思うようになりました。
 
そう考えると、自分の授業は「まだまだなんだ」と感じざるを得ません。そしてそう思うと同時に、もっと未知の領域を明らかにしてみたいという興味がわき起こります。
 
真理に向かって皮を剥く度に、また先に皮があります。でもそろそろ真理に近づいてきたのではないかと思います。少なくとも方向性は間違ってはいないと思います。個と共同性が矛盾しない子どもたちの姿のイメージはできあがっています。