「できる」と「分かる」は違うのよ

できていれば分かっているとよく教師は勘違いします。
 
 
例えば算数の単元テストで100点取っている子どもはどれだけ分かっているかというと私の感覚だと7〜8割です。90点の子どもだと半分くらいしか分かっていないと感じます。それは個々を掘り下げていくとそれがよく見えてきます。長期的に学び合わせてきた結果で考えると「分かる」ためには授業時数が不足します。しかも「どの子も」なんて言ったらなおさらです。それを防ぐために相当無茶なカリキュラムを組んでいますが、それでも放課後の特設勉強部が無ければ成り立たないって感じます。
 
上位の子どもはいいのですが、下位の子どもにとっては昨日分かった、説明できたことが今日はできない、分からないことなんて普通にあります。ましてや夏にやった勉強は今どれだけ「でき」「分かって」いるでしょうか? 人は時間が経てば立つほど、使わなければ使わないほど忘れるようにできているのです。
 
ここ4年ほど学力テストでは、平均値はすごく高いし、子どもたちのアンダーアチーバー(知能に対しての期待値以下の成績)も「0」です。でもそのためには相当カリキュラムをいじっています。
 
「分かる」ということのためには、何度も何度も丁寧な問いかけや学び直し、反復の学習が必要です。その丁寧さがあって初めて「分かってきた!」という子どもの声が上がります。
 
ですから「できた」とか単元テストで100点採れたからって「分かっている」なんて思ってはいけないのです。そう思えるとしたらよほど子どもを看ていないということです。
 
次回は「分かるとは何か」を書きたいと思います。