教師とは?

私は独り身の期間が長いので夕飯はよく外食していました。よく近所の中華屋さん(というよりも食堂って感じのお店かな)に出かけていました。そのお店は、からし肉味噌ラーメンと麻婆豆腐が絶品でしたのでよくそれらを食べました。と同時に顔なじみになったので、おじさんやおばさんと世間話や息子さんの大学進学話だの、いろいろとしていました。決してきれいではないそのお店は私にとってはすごく居心地のいい空間でした。
 
私は以前から学校がファミレス化しているという話をしてきました。先日も転校したある保護者の方と新しい学校の話をしたときに、授業参観日にはどこの教師も、同じ教科、同じ単元、同じ内容、同じ教材で学習していて、「先生が見えてこない」という話が出てきていました。
 
同じサービス、同じ値段、どこでも同じ味、それらは確かに安心を招くことでしょう。でもそれで顧客の「満足感」を本当に満たすことができるでしょうか? 食は人に「幸せ」をもたらすこともできます。感動を与えることもできます。でも一律のサービスの延長にそれはありません。
 
教師も同じです。教師集団が横並びをしていてどれだけのパフォーマンスを発揮できるでしょうか。最大公約数なのではなく、最小公約数になるような教師集団となるように学校はあるべきです。教師が平均化するというのは一見よいように見えるのだけど私は「教育の死」だと考えています。
 
「あなたはどんな教師なの?」って問われたときに、それを説明できる答えあなたは持っているでしょうか。
  
あなたはどんな教育をしたいの? 
あなたはどんな授業をしたいの? 
あなたはどんな子どもを育てたいの?
 
その答えを持つということが私たち教師のなすべきことなのです。一人一人がその哲学を持つこと。そうした対話を同僚とできること、これが「教育」なのだと私は思っています。教育は教員一人一人の心と頭の中にあるのです。
 
 
その中華屋さんのおじさんに「この麻婆豆腐うまいよね〜」っていうと、
「でしょ?これね、実は好みが分かれているんだけど本格的な四川風で山椒の実が強いでしょ? だからね……」そんな風にうれしそうに語る主人のこだわりや信条を感じ取り、何が自分を引きつけていたのかがよく分かりました。