人の能力は平等じゃないよ

日本の教育って誰でも「みんな同じ能力を持っている」というのが前提となっているような気がします。私は「人の能力なんて平等では無く、機会が平等なんだよ」と3年生の子どもたちにも堂々と言います。こんなことどの子どもだって本当は分かっていることなのですから。
 
例えば短距離走
どんなにがんばっても、どんなに練習してもクラスで一番速い子を遅い子が追い越すなんてことはありません。よくオリンピック選手なんかが「私は高校時代チームで一番足が遅かったんです」なんていう話をするんだけど、そんなチームに入ること自体普通の人からすれば「普通じゃない」ものです。
 
じゃあ足の遅い子は努力し走る練習をすることは無駄なのでしょうか。そうではありません。足の遅い子どももちゃんと練習すれば速くなります。努力をすることで「そこそこ」速くなることはできるのです。大事なことは自分の成長を感じることと、がんばった自分のよさを感じ取れるようにすることなんです。そう感じることで、その子どもは次のステップに向かうことができるのです。
 
さらに、どんな子どもでも何かしら能力が普通の人よりも抜き出ているものがあります。人間の能力には「ゆらぎ」があり、何かが欠けていれば、それと同じくらい何かが出ているという感じです。それが極めて強く出たのがサバン症候群のような状態だと感じます。そういった意味では人の能力もまた平等と言えるのかもしれません。
 
私は「真の平等」とは何か?を考えるときには「人の能力は平等ではないことを認める」ことから始めないといけないと考えています。だから僕は子どもの前でも「頭が悪いなんてそんなのどうでもいいことだよ。」って本気で言います。そして「でもね、そこそこは、自分でも満足できるくらいには、誰でも勉強ができるようにはなるんだぜ。だから学校があるんだよ!」って子どもたちに語りかけるのです。