狭く濃く

私たちが今取り組んでいることは「狭く・濃く」です。誰にでもできることを私たちはやろうとしていません。日々研鑽していかないとできない、そしてこの学びの集団だからこそできる授業づくりに取り組んでいます。
 
例えば我々は家を建てるときに、本をさらっと読んで「作り方が分かった!」なんていう人に施工してもらいたいと思うでしょうか?
 
私たちはよく自分たちの仕事を「職人の仕事」と言います。教師とは教師でしかできないことができるから、「教師」なのです。誰にでもできるのなら、時給700円の仕事でよいわけで、誰にでもできないことができるからこそ、それなりの給与をいただいているのです。
 
では「腕が立つ」ということはどういうことでしょうか? それはやぱり「現場」つまり、「授業」を「どれだけ積み重ねていくか」によります。
その時に大事なことは、その施工がちゃんとできているのかどうかを見極めてくれる人が必要だと言うことです。評価もされない勝手なミックスジュースは何にもならないのです。
 
特に若い世代の教師は、今は「いい取り組みだね」「がんばっているね」「若いのにすごいね」ととても肯定的な言葉をかけてもらえます。でもそれは本当にそうであるのかどうかは、授業を観ないと分かりません。子どもの成果も部分的なものであることも多いような気がします。
 
「薄く・広く」という戦略は、誤解や曖昧さを絡め取りながら、拡散していきます。以前の私のように。そのモデルでは結局、何も伝わらないことがよく分かりました。古田さんと密接に、そして評価を徹底して初めて、お互いに伸びてきたという感じがします。
 
でも、これらは決して一歩的な「指導」という形ではありません。知的な対話、議論、そしてその中に笑いが生まれます。本気で考え、議論するというのはスポーツのようなもので、とても気持ちがよく楽しいものです。
 
教師自身がこうした「学び続ける姿」こそが私たちのめざす環境です。
そしてその知的な姿は必ず教室の子どもたちへとフィードバックされていくものなのです。
 
若者の成長がとてもとても楽しみです。