何のために学ぶのか?

私の答えは「おもしろいから」です。
 
ほとんどの教師は授業とは「苦行」で努力し、苦しみながら学ぶものだと考えています。だから「将来困る」とか「高校に入れない」とか「字が書けなくなる」なんて脅し文句のようなことを言います。
 
でも子どもからすれば、いわゆる「勉強」をしている大人なんていないわけで「大人になるまで我慢しなければならないもの」と映っているのかもしれませんね。
 
でも私は学びとは人間の本質的な「快楽」だと考えています。おそらく人間が人間たる所以はこの「快楽」の機能だと思っています。つまり人間が新しい知識や気づき、そして知識と知識が関連づけられたときに、快楽物質が放出されるのだと考えています。ですから人間は学ぶことを軸に進化してきた生物だと理解しています。
 
しかし、多くの教師が授業を「苦行」と考えているところがあります。おそらく学生時代苦しみながら学んでいたのでしょうね。それはもちろん私もです。だから子どもたちも「同じように」苦しまなければ目的に近づくことができないと考えているのでしょう。
 
しかし、これまで授業を実践してきて「苦行」を与えて効力が発揮できたことはほとんどありません。大抵、恨まれるだけです。私も若いころ力で押したことがありましたが、きっとその時代の子どもたちには勉強=嫌なものというイメージを植え付けてしまったのかもしれません。
 
子どもを「看る」ようになっていからは、実は子どもの学ぶ原動力とは「快楽」であることがわかり、いかにその快楽を子どもたちにもたらそうかと考えるようになりました。子どもにとっては授業は「どれも」おもしろいのです。でもそれを阻害しているのも実は教師なのです。
 
子どもをよく見てみてみましょう。そのことに必ず気がつくはずです。