たかが

たかが一教師です。
 
私は最近よくそう思えます。よく「教えてください」とか「勉強になりました!」なんて言葉をもらう(まあ、そう言われて悪い気はしないけどね)のだけれども、たかが一人の教師の能力なんてしれたものです。
 
若い頃は「もっと有名な教師になりたい」とか「スーパーティーチャー」と呼ばれたいだとかよく思ったものです。でもよくよく考えてみれば1日は24時間しかないし、家庭生活は忙しいし、体力はないし、髪の毛も少ないし(これはもとからか(笑))、人間のできることなんてたかがしれているんだと40を越えてからすごくよく分かるようになりました。
 
40を越えて何が見えるんだろうか? そんなことを考えていたら自分の「限界」がよく見えました。と同時に限界が見えるからこそ、自分のできることがとても明確になってきました。僕にはこんなことは無理だけど、こんなことなら「できる」ってね。
 
例えば、本校の50代のベテランの先生が私の実践を分析し、本気で取り組んむと「これはかなわないな〜」と思うような実践を盛り込んできます。誰だってこうした力を持っているのです。みんなすごいんです。
 
そして私が見えてきたのは、とてもとても緩やかな「潮流」。日本の教育の流れが見えてきました。こうしたものに逆らおうとしても日本海流を反対向きに泳ぐようなものです。緩やかな潮流それこそが教育改革の神髄です。流れがあまりに大きく、そして緩やかなので始めはよく気がつきませんでした。でも今はその息吹を感じ取ることができます。
 
私ができることはごくごく単純で、こうした潮流の中で楽しく自由奔放に「遊ぶ」ことだと理解しました。そうした流れの中にたくさんの教師を誘導してあげること、それが私の天命なのだと思えるようになってきました。このブログとはこういうことなのです。
 
私の実践をトレースしても、ほとんどの人はうまくいきません。だって「私」じゃないですもの。性格も、顔も、性も、年齢も、地域も、学校も、そして子どもたちも違うのに「ある方法」が「必ずうまくいく」なんてことはないのです。ただ「必ず失敗する」というのはありますけどね(笑)
 
私ができることはそうした流れに多くの教師を巻き込んでいくこと。そのために授業とは上質な遊びでなければなりません。たかが一教師。でも自分のできることの限界が見えたからこそ、目をつぶったからこそ、本質的なものが見えてきました。