話を聴くということ その2

さて、どうしてどうして聴いていない子どもが増えて、聴いていない子どもはいなくなったのでしょうか?
 
話を授業に戻します。
 
課題設定の後に、子どもたちは隣同士の子どもたちとちょこちょこっと学び合いました。そこで分かったことを教師は手を上げさせて発表させました。するとその発表を聴いていない子どもが多くなりました。
 
答えは「自分には関係ない」からです。この意味は後で分かると思います。
 
その後、子どもたちは自由に学び合いました。約15分くらいだったと思います。そして教師がその時分かったことを子どもたちに訪ねました。すると課題設定の時にずっとふざけ合っていた子どもも、何となくぼんやりと聴いていた子どもも目を見開き(笑)友達の発表を聴いています。
 
だって、さっきまで「自分が関わっていた友達」なんですもの。そりゃ関心が高まるに決まってますよね。
 
ではこのことから何が分かるでしょうか?
 
つまり、学習で大事なのは自分がその課題と対峙できているかどうかということで、「聴け!」なんていっても聴くものではなく「関心があるからこそ聴く」ということです。教師が一方的にありがたい情報を与えても必ずしも子どもにとって大事だというわけではなく、その情報に関するものに対して触る・においをかぐ・投げてみる・なめてみるといった自らのアプローチがあって初めて、その情報を受け取る体勢が整うということなのです。
 
それを直感的に知っているからこそ多くの教師は課題設定に「仕掛け」を用意して、驚かせたり、「やってみたいな」と思わせるような仕掛けを用意したりします。
 
でも私は本当はそんなものは必要ないと考えています。課題そのものにすぐに触れさせることができれば、そして多くの友達と情報交換できるような学習システムになっていればそんな仕掛けなんて必要ないんです。むしろ邪魔だと言えます。
 
子どもにとっての学習課題とは始めからあるのではなく、始まってから生まれてくるものだということを私たち教師は知らなくてはいけません。次回は何度か書いてきた「学習課題」についてもう一度整理して書きたいと思います。