教材というもの その2

昨日に続きます。
昨日は教材を安易に使うことの問題を指摘しました。
 
まず私たち教師は教材会社の教材とどう向き合い、使えばよいのでしょうか?
 
大事なことはその教科や単元において「教材の位置づけを考える」ということです。例えば、図工教材で考えるとそのまま使うということは、教材に図工そのものが支配されてしまうということです。「教材に合わせて子どもが創作活動をする」なんてすごく幅の狭い創作ですよね。レッジョエミリアは私たちに、幅広い素材を準備しておくことでその素材の持つ質感や特性をその創作活動に練り込まれ子どもたちのもつ世界観が表現されていきます。
 
ただそうした環境が整えられていない日本で、セロファンだの段ボールのロール紙だの、木材だのを子どもに合わせて全て準備することは容易なことではありません。だからそうしたもの(教材)を買うことは教師が図工の授業をすることのハードルを下げてくれます。
 
そして、さらにどんなものを持ってくるか、または友達と素材を交換するだけで創作の幅は広がります。私がよくやるのは個別になっている素材を全部種類ごとに集めたり、さらに素材を買い足したり、子どもたちが集めてきたりして、どんと「素材は使い放題」にします。これで子どもの作品はその子の世界へと広がります。もちろん、制作の一週間前には素材を子どもたちに見せて、一週間後の制作活動に必要なものを集めてもらうなどします。
 
また算数ドリルなどはどうでしょうか? ドリルが宿題のためだけになったり、授業のすき間にやるものになっていないでしょうか? そのためにお金を出して使うべきものなのでしょうか? 
 
これまでのクラスではドリルはよく書き込みがされています。図で表したり、意味を書き込んだりするからです。また、確認問題を書いたり、追加問題を書いたりするなど、ドリルをとことん使いこなしていくことも大事です。計算ドリルのはずがいつの間にか、数学的な考え方を考えていく場となったり、次の単元の足がかりとなったりするようにしていきます。
 
このように教材は、教師の使い方によって子どもの力を高めていく触媒にもなりますし、時には毒にもなります。これを決めるのは教師が「その単元の目標は何なのか?」そのために教材というものをどう使うかということがを常に考えていくこと」が大事なのです。そして、これは手作り教材も同様なのです。自分の教材をやらせたいがために、授業のほとんどをぶち壊す人もいます(本人的には満足なのでしょうけれども)
 
手元の教材をもう一度見直して見ませんか? そしてそれを使うときの子どもの姿を想像してみてください。一人で黙々と散り組んでいる姿が想像
されるのであれば、教材の使い方は間違っているのかもしれませんね。
 
次回は教材会社側から見た教材について書きたいと思います。