教材というもの

小学校では教材会社さんの教材が欠かせない存在となっています。単元テストを始め、各教科のドリル、理科の実験教材、図工の材料セットなど様々な教材を購入しています。教材とは自転車で言うと電動アシスト自転車のモーターのようなもので、漕ぎ手の子どもたちの学習をアシストする役割を持っています。
 
ただし、これはアシストのさせ方を間違うと電動アシスト自転車が電動自転車に変わってしまいます。つまり漕がなくても勝手に進んでいってしまって子どもの筋肉が付かなくなることもあります。
 
何度か書いてきたように私は単元テストはもちろん成績処理にも使いますが、基本的には子どもの学びを促進させるために使います。具体的に言うと子どもの知識理解のどこに「穴があるか」を探知するという大事なテストです。だからこそ、単元が終わるごとにテストなんてしません。だって単元が終了したばかりだったらテストの成績は高いに決まっているのですから。だからできるだけ距離をとって、どれだけ定着しにくいか、どれだけ分かりにくいかを計ります。そうした使い方の中ではとても大事なものであることは確かです。
 
しかしそれを表計算にかけて観点別成績を付けるのは大反対です。テストで100点採ることは確かに大事ですけれども、そんなものが教育の目標ではございません。また単元テストにはまだ不備が大きいと言えます。例えば、国語のテストはその単元など勉強しなくても1/3の子どもは100点です。逆にその単元ですごい読み取りをしていた子どもがテストで100点採れるかというとそうでもありません。つまり学習指導要領や教科書の読み取りに問題が踏み込めていないとも言えます。さらには簡単な穴埋めや選択で「考える力」を評価するというのもやっぱり私には違和感があります。
 
これは本質に踏み込むと平均点数が低くなって採用してもらえないという配慮があるからです。でもこれは教師側のニーズによるものです。保護者に子どもがよい点数を採らせられないことで評価が下がってしまうという問題から平均点がひどくならないものを採用しやすいという傾向があるからです。これは芦田先生も指摘していたことで「きれいな正規分布にならないテストは簡単すぎる」いうものです。(もちろん「めちゃくちゃ」勉強しているクラスは正規分布にはならないのですけどね)
 
また、理科の実験セットなどももはや理科の学習から遠く離れたところのプラモデルのようなものから、図工ではお一人様セットで金太郎飴のような作品しか生まれないよな上げ膳据え膳のセットが満載です。
 
これも教師のニーズからきたものであって、決して教材会社が悪いと言うことではございません。でもこの使い方を間違えば、大して考えない教師でも一応は評価できる、制作できる、実験できるという「電動自転車」になってしまいます。
 
ではどうすればよいのでしょうか? 
私は教材会社、そして教師側として2つの面から教材というものの見方や使い方を考えてみたいと思います。(続く)