「テストが全てじゃない」?

よく「テストが全てじゃない」という教師がいます。その通りでしょうね。でもその言葉を「使っていい」のは、テストで有意義な結果を残せている人のみです。テストさえできていないのに、テストが全てじゃないと言ったって誰もそんなもの信頼しないし、第一保護者が納得しないことでしょう。逆に「テストばかりよくても仕方がない」という教師もおります。でもこの言葉を使っていいのも、やはり結果を出せている人です。
 
勘違いしてはいけないことは、子ども自信が自分が伸びているかどうかを一番よく知っているということなのです。ですから、子どもが自分で力が伸びている、つまりそうした有能感が高まればほっといても勉強なんていくらでもやるのです。
 
また、テストも何でもよいかというとそうではなくて、例えば小学校だと教材会社の単元テストで評価されることが一般的ですけど、これで100点とってよい授業ができたとか、最低点が上がったからよい授業だなんてございません。テストは学習後すぐに行うほど成績は高く、時間が経てば当たり前ですが結果は低くなります。教師がテストで100点を採ることが目標にすれば子どもはテストで100点を採ることに執着して学ぶことでしょう。でも、これってすごく質の低い授業ですよね?
 
うちのクラスだと単元テストは、むしろ平均よりも低いと言えます。だって学期の後半に集中的に行うから下手すると3ヶ月前の学習内容だったりします。苦手な子どもは当然定着しにくいから結果も低いんです。でも何度も学べる環境があるからこそ、最終的に力が上がります。
 
もちろん「テストが全てじゃありません」転校した保護者からはよく、子どもの対話能力が高いという話をよく聴きますし、学習のレポート作成能力や文章量も通常の学校でのレベルを圧倒していると思います。
 
「テストが全てじゃない」という言葉。そしてそのテストそのものの質も我々は問われます。テストの結果にもつながらない質の低い授業、そして子どもの個の能力にもつながらない「テスト勉強」の授業。
 
こんな授業が蔓延しないように自分も実践を磨いていきたいと思います。