学習障害というものは?

私は障害という言葉が誤解を生んでいるような気がします。
 
 
私は小学校時代からとにかく忘れ物が多く、最もひどいときはランドセルを背負わないで学校で初めて気がつくというくらいです。これだと笑い話ですむのですが、教師からすれば忘れ物ばかりする私はひどくダメな人間であったようで、教室の後ろで1日中立っていることも珍しいことではありません。「やればできるくせにやってこないずるい人間」というレッテルを貼られて、ひどく怒られていた記憶があります。また、漢字も全く覚えられずにクラスで一番できが悪かったくらいです。他の教科の出来具合からすればずば抜けて「できない」のです。
 
高校生くらいまでの知能テストではそれがはっきり出ていて、項目によっては時間が余ってしまうくらいのものもあれば、言語関係などひどく苦労するものもあります。私は特にカタカナの長い言葉をきちんと覚えられません。覚えても微妙に違っています。今、LDについて学ぶ限り、若干のディスクレシアの傾向があるのではないかと思います。
 
でもこうしたことは、かなり多くの人が持っていると思います。全く地図が読めない(空間認知能力が低い)とか、どうやっても跳び箱が跳べないとか、ものすごく計算が苦手だとか。
 
私は人の脳は+ーで0だと思っています。何かに長けていると言うことは何かが劣る部分を持っていると実感しています。その波が大きければはっきりと見えるわけで、波が小さければ「得意」とか「苦手」が通常の学ぶことや努力することの波にのまれて見えにくくなるだけです。
 
一人一人のそうした波を全部把握できるはずもありませんし、対応できるはずもありませんので、別に配慮は必要ないと考えます。しかし、時にその波が許容範囲を超えている子どももおります。私は「約1割」と直感的に感じます。私なんかだとその1割との境界線レベルだと思います。
 
そうした子どもは「がんばっているのに・・・」とか、ひどいと「どうせやっても」とか、仕舞いには「私は馬鹿なんだ」と自分自身を否定することにさえなります。これは後日書こうと思っている「発達障害」についても同様のことが言えます。
 
保護者は「障害」という言葉にとても敏感です。これは当然で自分の子どもが「障害」なんてレッテルを貼ったらたまりませんものね。でもこうしたことが発見を遅らせ、対応がとれないままになっているケースがほとんどなのです。
 
学習障害なんているものは、レベル1からレベル100まであるわけで、誰もが何かしら持っていて、人によって程度が違うという感じを私は持っています。そして、大事なのは何かマイナスの要素があるということは、それを補うためのプラスの要素も持ち合わせているということです。
 
教師の一方的な授業の中ではそうした隠れたプラスの要素が出せないままになってしまうということが多いことでしょう。その解決策もないままただ叱られたり、励まされたり、塾に行かされたり。
 
でもこうして私が文章を書いているように、苦手なことも「経験」がそれをカバーしていきます。ですから「学び続ける」ということ(これは生涯学習につながっていきますよね)が最も大事なのだと私は考えます。そして学び続けられるためには、「私ってこれが苦手なんだよね〜」って笑って人に言えるような学習環境・人間形成が大事なのだと思っています。
 
そのために教師がこの学習障害についてよく学ぶことはとても大事だと私は思っています。