学び合いは発達障害を抱える子どもを救えるのか?

答えはYESであり、NOであるというどうにもならないような答えしか今の私にはできません。少なくとも「YES」とだけ言うのはあまりにも発達障害のことを知らなさすぎるとしか言えません。
 
以前専門の先生方に授業を観ていただいた後の懇談で「いろんな子どもがいるのによく成り立っていますね。」そう言われたことがあります。わたしがちょっと驚いたのは、普通の先生方では見破ることができないのに簡単に分かっちゃうんだということでした。私はそれぞれの子どもがどんな特性を持っているかもちろんよく分かりますが、さっと授業を参観して、それらをはっきりと指摘されたのほとんどありません。それだけ比較的うまくいっているようでも専門の方々が見れば分かるし、私自身も悩むことはよくあります。
 
「子どもと子どもを学ばせていくことで、個々の抱える諸問題を子どもたちが柔軟に受け止めていける」これは今までの授業の中でもずっと感じてきたことです。特に学力の低い子どもやLD(学習障害)を抱える子どもは圧倒的に学習に前向きになれます。その一方で発達障害はどうかと言われると逆にひどくなるケースもあるのではないかと推測されます。
 
発達障害と言われる子どもはもちろん個々で状況も深刻さも異なるのですが、大きくはADHD自閉症(高機能も含む)またはその複合型もあります。どちらも対人トラブルが多いのが特徴です。ADHDでは相手に暴力をふるうこともままあります。自閉症は相手の心を読み取る力が弱いのでむしろコミュニケーションを取ること自体が苦痛になっている子どももかなりいるはずです。また、学び合いはどんどん授業の流れが変化していきますので手順が変わるとパニックになる子どもにとっては地獄のような授業になりかねません。
  
学び合いが広まれば、そうしたことも分からない教師が自分の信念のもと強要して逆に子どもを苦しめたり、クラスを壊わしたりすることにつながりかねません。学び合いが苦手な(苦しい)子どももいるということを理解し、対応できる教師はどれだけいるでしょうか?
 
私は最近はLDにもメスを入れています。ディスレクシア・ディスカリキュリアもできるだけ早く見つけ出して対応を考えようとしています。それに合った手当は教師しかできませんもの。それが分かることで初めて学び合いがうまくいくこともあります。
 
若くてそうした知識も経験もない人はどうすればよいのでしょう?
私はそうした専門家と連携したり、そうした人から学んだりすることが大事だと思っています。授業万能主義はとても危険なことなのです。