ビッグデータ

昨日の話に続きます。
 
授業研究会(事後検討会)でよく話されるのはいわゆる「スモールデータ」です。子どもの会話、子どものノート、教師の言葉かけ、板書などなど。こうしたことを積み上げていくことで授業の全体を明らかにしていこうという話です。
 
私はこれだけでは不十分だと思います。1時間の授業をデータとして量を量るとすれば、サイズはG(ギガ)のレベルではなくてT「テラ」サイズ(もちろん、教師主導の授業であればずっとサイズは小さくなるのだけど)になるはずです。そのだけの量を正確に分析するとすれば半年はかかるでしょうね。「1時間の授業」でです。
 
授業はビッグデーターなのです。様々な情報が折り重なり、溶け込んでいます。これらの「部分」すなわちスモールデーターをみても本質は見えません。昨日述べた、授業を観る力とは、このビックデーターをとらえるための訓練です。情報を巨視的に見ることでその状況を判断するということなのです。
 
もう少し分かりやすく例えると、今自分の住んでいるところは雨が降っています。どれだけの量がどのように降っているかはすぐに見て取れます。しかし、その雨がなぜ降っているのか(それは積乱雲なのか、梅雨前線なのか、それとも台風なのか)その場所から空を眺めるだけでは分かりません。それが日本という巨視的に判断することで、その雨がなぜ降っているのかということが初めて理解できます。(そんな取り組みも始まりましたよね)
 
もちろん、スモールデータが無駄だとは思いません。巨視的に見ることで当然細かな情報は見えなくなるので、そうした情報をもらうことはとても大事です。しかし、それをその場所でどんなに積み上げても「全体」は見えないのです。
 
ついでに言うと、放射線の問題も同じです!