温度差

先日、放射線の話をさせていただいたときに西日本の方からある質問を受けました。おそらくその人にとっては素朴な質問なのであり、悪気はないのでしょうけど温度差を改めて感じされられました。
 
「私は線量計を持って福島のホテルのから外に出てみたら警報がピーピーなるんだけど、周りを見ても誰も気にしていないようで。むしろ私の方が変な目で見られたんですけど、福島の人はみんな放射線は気にしていないんでしょうかね?」
 
私は次のように返しました。
 
「私たちは膨大な情報、つまり関東の人から見れば100倍の情報を持っています。毎日、新聞では数面を使って放射線関連の記事を記載しています。ローカルテレビでは毎日、放射線関連のニュースを流しています。私たちにとっては日常です。ましてや西日本の人からすれば1000倍の情報を持っています。西日本の人からすれば私たちがどんなにひどい状況でひどい生活かを想像するかもしれませんが、放射線に対して1年以上もそのストレスに耐えられる人はいません。毎日線量計を持ってアラームを鳴らしながら生活するなんていうストレスは耐えられないのです。ですから情報を元に自分たちの置かれている状況を判断し、生活しているのです。」
 
放射線のストレスに耐えられない人は避難しました。これはとてもよいことだと思います。もちろん健康リスクも低減できます。でも福島に住んでいる人が愚かだとか、無知だとか、思考停止しているだとかアホなことをいう輩が大勢おります。
 
福島に住む人たちは確かに「正常性バイアス」がかかっている状態の人もいることを否定はできません。しかし、ほとんどの人は放射線を理解しようとし、情報を求め、そしてリスク計算しながら生活しています。その結果が内部被曝の極めて低い値なのです。(もちろん事故初期の呼気による被曝は地域によって大きな差がありますがそれは本人の努力とかそういうものとは関係ありません)
 
原発の動きと福島県民のちょっとした感覚のずれも感じます(もちろん原発稼働がよいとは私も思いません)私たちはいきなり反原発を臨んでいるのではなく、そんなことよりもまずは今の現状の改善を図りたいと考えています。反原発労働組合の登り旗が泳ぐデモを私は苦々しく感じます。当然私たち福島県民はそうした流れを「冷ややかに」見つめていることを感じた方がよいと思います。