算数の授業

私の授業でおそらく一番ぶっ飛んでいるように見えるのが算数の授業です。授業ごとに「めあて」はもはやありません。
 
おそらく算数を研究されている人が観たら「馬鹿じゃない?」と言われるでしょう。でもそんな人の授業よりもNRTの数値はずっと高いですし、数学的表現力もかなり高くなります。
 
 
 
算数の授業が始まると、それぞれが勉強をし始めます。自分の課題を持っているからです。予習と授業の一体化でかなりスピードは速く進みます。流れが分かってきた子どもたちにとっては「下」の教科書は9月で終了すると思います。おそらく最も算数の苦手な子どもでも11月には教科書は終わることでしょう。
 
そもそも、算数なんて個人差がものすごくあります。小学3年生でも指を使わないと3+4ができない子どももおりますし、応用問題にも果敢にチャレンジして解く子どももおります。これだけの「差」をはたして私たちの授業で吸収しきることはできているでしょうか?
 
ですから私の算数の授業は完全に上限も下限も解放されています。上位は私でも手こずるような問題をチームで解決していますし、下位は何度も九九を覚え直しながら計算をしています。全ての子どもが自分のレベルに合わせて学習しています。つまり「ロス」がないのです。
 
実はこうした授業の瞬間的な効率は一斉的に行うよりも低いと言えます。しかし、ロスなく学び続けるので結果的に学力は上回ります。もし、ここにより効率的な問いかけや子どもと子どもとのつながりを結ぶことができるとさらに向上することが分かっています。そうなると教師の力量が問われてくることになります。だから私はものすごくこの授業疲れます。
 
そして子ども側からみるとこの授業、やはり学び続けることができる「優しさ」があります。ほっとくと1時間目から4時間目までやり続けるでしょうね。今日の夏休みのお勉強会でも2時間半(つまり150分)算数をやり続ける子どもも普通におります。自分の問いに授業がマッチングしていると実は子どもはほっといても勉強するのです。
 
上記のことだと何だかよく分からない人がほとんどだと思います(笑)
自分のことが一番よく分からないのが人間ですから、こんな説明しかできません。すみません。
 
追記
 
教科書が終わること=算数が分かるではございません。教科書が終わっても理解度は3割と私は考えています。算数はそんなに簡単なはずもなく。教科書が終わってからが本番です。どう本番になるのかは次の機会に。