いじめ問題その2

「いじめ問題に対応していた三重県の小学校長が自殺した」こんなニュースが出ていました。いじめ問題は学校・教師が悪いと述べながらも昨日書いたことが何にもなっていないので、続けて書きます。
 
学校であるベテランの先生とよく話すことで共通することは、荒れている教室の授業は「つまらない」ということです。中学校だと教科担任制なのでそれらは分散化されるのかもしれませんが、私は荒れている中学校の問題として相対的に授業の質が低いのではないかという疑いを持っています。
 
いじめ問題を解決するというのはとてもつもない労力を要します。であればいじめ問題が起こる前、そしてその前段階の「荒れ」が起こる前に起動修正することが一番の対応策と言えます。
 
「いじめはゆるさない」なんて言っても何にもなりません。現に大津市の問題となった中学校も道徳教育で文科省指定を受けて「素晴らしい実践報告」が出されています。でもそんなことで荒れなんて解決できないのです。だって、学校生活のほとんどが「授業」なのですから。
 
「我慢する授業」をずっと続けてくれば、そりゃ荒れます。力で押せるのは、せいぜい小学校1〜2年生までです(それでも最近は小1プロブレムなんて言葉がありますけどね)。もしくは受験で縛ることのできる中学3年生くらいでしょうか?
 
「じゃあ、おもしろい授業をすればいいの?」そうです。でも「おもしろい」の質が問題です。「おもしろい」を勘違いして、安易におもしろいことをやったり、授業をゲーム化したり、興味を引くことをやったりすることで子どもたちが変わるかというと、そんなもの子どもたちだって見透かします。
 
実は授業はレベルを上げた方がずっと安定します。ほとんどが「分かりやすく」ということを考えて、子どもたちの学びの質を低くしてしまいます。とたんに授業はグダグダしてきます。実は子どもたちはもっと伸びたい、もっと頭が良くなりたいという欲求を強く持っているのです。それは学力が下位の子どももね。
 
授業で精一杯伸びることも、協働・共同で学ぶことも制限されて、荒れていないのなら、よほど子どもたちが諦めきっているか、ものすごい力で押さえ込まれているかのどちらかです。むしろ荒れが見える方が健全かもしれません。
 
私たちがいじめ問題を引き起こさないために最も大事なのは、授業の質を高めることしかないのです。どんなに立派な道徳教育をしようとも、どんなにしっかりした生徒指導をしようとも、なかなか子どもたちの心の中には響かないものなのです。(もちろん不必要ということではありません)
 
子どもたちを成長させるのが私たちの仕事の本質です。そしてそれは授業と生活というように切り離されて行われるものではなくて、一体化したものなのだと私たちは心していくことが最も大事なことなのです。