通知票

今年保護者に話したこと、保護者向けに書いたお便りを簡単に。
 
 
私の小学3年生の音楽の成績は「1」です。中学校では「5」です。
通知票なんて所詮こんなものです。もちろん、5に変化したのは音楽が
好きになれたことが大きいのだけれども、この違いほど自分が変化したとも思えません。
 
おそらく今年の通知票で多くの子どもで評価が「下がる」と思います。じゃあ、成績が下がったかというとそうではありません。これだけ勉強してきていて力が下がっている子どもは一人もおりません。それは「私」という基準で付けているからです。じゃあ、どうして共通の基準はないのかというと通知票の記載されている各観点は主観による要素が強いからなのです。
 
本校の通知票も全国の多くの小学校と同じように観点別評価で作成しています。しかし、これは成績の「量」を計るものではなくて、学習の質の変化を看取るものです。ですから「大変良い」が20個あったから、前回の18個よりも成績が上がったというものではありません。
 
ただ、私個人としては観点別評価を通知票に載せることには反対です。これは「指導要録」という記録簿に1年間の変化を記載するための評価でそれを学期ごとに当てはめることは乱暴だし、それを素人である普通の保護者に示してもその意味や違いが分からない方がほとんどだからです。それならば相対的に比較できる量として数字で示した方がよほど分かりやすいと感じます。
 
通知票の正しい見方は、どこの観点ができていないのかを読み取って、次の学習に生かしていくということです。それを家庭で補おうとしても何をどうすれば良いのか分からないと思います。私はそれは学校でしか補えないと思っています。だから、成績がたとえ悪くても明るく「2学期はこれがちゃんとできるようにがんばっといで!」と励ましてあげることが一番大切なのです。
 
 
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今日の子どもたちの宿題は、
「お父さんお母さんに自分の通知票を説明することができる」です。
そのために、通知票は1分で渡して、その後、自分の何がダメだったのかについて20分ほど子どもたちの質問を受けました。
子どもの成績を一番よく理解していなければならないのは「子ども自身」のはずです。だから子どもたちには成績をきちんと説明してあげる必要があるのです。そう思いませんか?
 
だから通知票の成績が良かったか悪かったかなんて「どうでもいい」ことなんです。