トラブル

今日廊下でちょとした落書き「○○ばか」が見つかりました。私が若い頃だと「許せん!」とばかりに怒り、その筆跡を照らし合わせて、一人一人問い詰めるような場面ですね。まあ、怨念のこもったような落書きではないので子どもたちにこんな話をして終わりました。
 
「落書きってね、いっぱい学校で起こるんだよね〜。なんで起こるか分かるかい?」
 
「・・・」
 
「あのね。クラスが悪いから! 朝来てね、いい気持ちで一日過ごせていたら、誰かの悪口なんて書きたくないよね。きっとそれを書いた人は嫌な気持ちでいっぱいだったんだろうね〜。その責任って誰にあると思う?それは先生なのよ。つまりそんなクラスを作っている先生が悪いってことだね。いいクラスだとこんなことは起こらないね。もしもこれをこのクラスの人が書いているとしたらそりゃ、先生が悪いはね。」
 
「そして2つのことが先生は気になるな。まずはそれを書いた人。きっといい気持ちで過ごしていないと言うことだね。きっとたくさんの人とうまく関われていないということだね。書いたことが問題なんじゃなくてどうして書きたくなってしまったのかが問題なんだな。」
 
「そしてもう一つは書かれた人。みんなは「かわいそう」って思うかもしれないね。でも先生は違うな。書かれた人もやっぱりだめなんだと思う。もしもね、他の人のためにいっぱい応援してあげたり、励ましてあげたり、助けてあげたりしたり……。そんな人の悪口を書きたくなるかな?
きっと何かあったんだと思う。「むかっ」ときたときに「でも○○さんはいつも助けてくれるんだよね」って思ったら悪口書かないもんね。」
 
「そしてこれはみんなに明日にでも起こること。特に今、仲のいい人ほど実は悪口を書きたくなるんだ。だってそうでしょ?君たちだって大好きなおっかさんにむかっときて「知らない!」って怒ったり、時には「うるさいな!」って思う(言う)でしょ? 大好きだからこそ嫌な気持ちも膨らむんだね。」
 
「じゃあ、どうすればいいのか? それは簡単だよ。このクラスをいいクラスにすればいいってこと。いいクラスって言うのはみんな仲良しなんじゃなくて、みんなが仲間であるってこと。一人一人性格も違うし、考え方も違う。朝食べてきたものも違う。そして朝お母さんに怒られていらいらしている人もいるんだ。だから友達のちょっとしたことに腹が立つことなんて当たり前にあることなんだよ。でもね、仲間であれば「でも○○はこの間、私を一生懸命に応援してくれたんだよね」とか「この間勉強教えてくれたんだよね」とか考えて悪口を書くことまでにはいかないもんだよ。」
 
 
 
こんな話をして終わりました。もっとねちっこく話はしましたけどね(笑) 犯人捜しなんてやっても、犯人が分かってスッキリはするかもしれないけれども本当の解決になんてならないものです。「ごめんなさいね」というべきなのは子どもではなくて担任なのですから。
 
今日から体育では握手をすること(これは今までもやってたんだけど)、子どもたち同士でハイタッチすること、そして子どもたちの中であいさつすることをすごく大事にしています。心と心が触れあうこと、そして体と体が触れあうことって日常的にこういうことってすごく大事なんだと思います。
 
こうやって子どもを育てていってます。僕は40を過ぎて初めてこういうことができるようになりました。もし教師が30代でこうした対応ができれば幸せになれる子どもがもっと増えると思います。20代でこれができたら天才教師です(笑) ということで私は手の内をどんどん見せちゃいます! だって50代じゃないとできない言葉かけを早くしたいもんね!