ひき算

先日、郡山市の研修で岐阜聖徳大学の井上志朗先生(とても素晴らしい先生でした。またお会いしたいですね)を招いての授業研究会がありました。授業を観ていて思っていたことを講演の中で全て話してくださったのでとてもすっきりしました。その中でICTはひき算の考え方でということを話いただきました。私もひき算の考えがとても大事だと思います。
 
私たちの仕事は「忙しい」と言われます。でもよく考えてみると自分で自分の首をしてめていることも確かです。
 
「本当にその仕事が必要なのか?」
 
例えば、教室に張り出される様々な掲示物。あれって子どもが何か見ているでしょうかでしょうか? せいぜい給食の献立くらいですよね(笑)学習のまとめにしても子どもがそれを眺めて、勉強している姿を私はほとんど見たことがありません。
 
「1学期のめあて」なんていうのも私は無駄だと思います。だって本気で書くなら、細かい字で一人模造紙1枚くらいになるはずです。そんなちっぽけなめあて(例えば漢字の練習をがんばるとか算数で100点とれるようにするとか)をずらずら書かれたものを1学期間貼っておく必要はあるでしょうか? 
 
私の教室は今年、ほぼ外しました。貼ってあるのは、時間割と学校から出される毎月の生活のめあて、月の行事予定だけです。あとは後ろに習字が貼ってあるだけです。すると掲示板の1/3は空きますから、そこを子どもたちが自分で書いた絵を貼ったり係のお知らせを貼ったりしています。3年生の掲示物だから決して見栄えは良くないのだけど、子どもにとっては大事なスペースになってきています。また図工の展示スペースも子どもたちに作ってもらおうと思っています。
 
そして、それは授業も同じです。今まで書いてきたように自分の授業からどんどんひき算をしていくことで物事の本質が見えてくるようになります。たいていの先生はたし算で考えていくので、どんどんいろんなものをくっつけていってしまいます。教師は方法をたくさんしているほど、その方法が使いたくなってくるものです。その方法がその授業の本質をとられているのならよいのですが、そもそも子どもを看てない場合が多いのですから外れることが多くなります。でも見栄え場きれいになりますけどね。 
こうしてたくさんの方法・準備に追われて時間が消費されていきます。私は毎日家族でみんなで夕ご飯を食べるくらいの時間に帰れないような仕事は不健全だと思っています。そんな時間に追われた仕事にはクリエイティブな発想は生まれてきませんもの。
 
私は数年前に自分の授業をどんどんひき算していきました。そうすると8割は実は子どもが学ぶことと関係ないことが分かりました。「仕掛け」なんて実はほとんどが必要ないものです。そして最終的には残ったのは教師という存在(理念)です。本校のベテランの先生も学び合い授業に切り替えて、それを感じたなんて話をよくします。
 
ひき算することで多くの無駄を省ける分、その時間を本当に必要なこと(例えば授業とは何かとか教師のあり方とは何かなど)に使うような学校にしなえればならないと思います。そんな時間が毎日1時間とれたら、ものすごい学校になれることでしょう。でも学校に「一番必要なこと」って