チームを創るということ

3日前はこんな問題があった。一昨日はこんなことが起こった。昨日は、こんなトラブルが起こった。今日の授業はなんだかのりが悪かった……。どれも子どもや問題の質が異なる出来事なのに実は根っこの部分でつながっていて必然的にそんなことが起こるものです。
 
 
今日の体育の授業でチームを3つ作ることにしました。条件は「どのチームもだいたい同じくらいの力になるようにする」「男女が必ず入っている」というものです。しかし、子どもたちは20分たっても自分たちでチームを作ることができませんでした。子どもたちは進んで話し合おうとしません。中には遊び友達と一緒に組み、まだ他のチームが決まってもいないのに「がんばろうぜ!」なんて話をしています。そして私は子どもたちの「手」をずっと見ていました。そうです。手をつないでいるんです(悪い意味でね)体育の時間を諦めて教室でこんな話をしました。
 
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
さっき手をつないでいた人がいたよね。それって全くだめなことだよね。きっと手をつないでいた人は不安があって「その人」と手をつなぐことで安心をしてるんだね。でも周りから見たらどうだろう? その人に「こっちのチームに入らない?」って声をかけにくいとは思いませんか? または「○○さんはいつも○○さんなんだよね〜」って思いませんか? それが手をつないでいる人たちの姿なんです。逆に手をつなぐことで誰もそこには人が入れない。これは周りの人にも冷たいことをしているだと思うな。このクラスはまだ安心できるクラスじゃないんだね。
 
どうして安心できないのか考えてみて。体育なんて足の遅い人、うまくボールがとれない人、泳げない人、そんな人がいて当たり前なんだな。先生にとってはそんなことはどうでもいいこと。だって体育って自分の力を伸ばしていく場なんだもの。うまくボールがとれなかったらうまく捕れる方法を周りが教えてくれたら安心できるし、自分がミスしても「気にしなくていいよ」って言ってもらえたらうれしいよね。さっき手をつないでいたのは自分がこの手を離して一人になったときに、「おまえが下手だから負けた」とか「馬鹿にされる」とかそう思われることが怖いんだよね。
 
体育はチーム作りを通して、みんなで一緒になって自分の力を伸ばしてく授業。うまいとか下手とかはどうでもいいことなんだ。ちゃんと支えてくれる、教えてくれる、励ましてくれる、応援してくれる友達がいれば、得意にはなれなくても、ちゃんと自分の満足できるような動きができるようになってくるよ。
 
それは国語や算数や他の教科でも同じだね。今日のこの動きがあるということは、まだ誰とでも関わり合える力がないって証拠。
 
どうする?
 
「もう一度話し合わせてください。」
 
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
 
 
私の仕事は子どもたちを大人にしていくということです。こんなことは日常的に何度も起こります。その度に何がダメなのか、どうすればよいのか? しつこくしつこく続けていきます。今年は「24人のチームを創る」のです。子どもたちにチームになるということは何か? いろんな場面を通して子どもたちは学んでいきます。
 
こうした子どもたちの人間関係の希薄さが、学級の問題を拡大していきます。立て続けに子どもたちや授業でトラブルが起こるということは、学級の基盤がぐらついているということなのです。
 
さて、どうにかチームはできあがりました。でもチームを「作った」だけです。そしてこれからチームを「創る」のです。その話はまた後で。
 
 
 
エピローグ
  
お昼休み、昨年担任した子どもたちがいたので今日の話を立ち話していました。その子どもたちは最終的にはチームを3分で作ることができる子どもたちです。つまり「そんなの誰だっていいじゃん!」ってことを分かっている子どもたちです。
 
「あらら、それはだめね(笑)」
「先生、どうやってチームになるのか本とかあるといいんじゃないの?」
 
「ああ、それならあったわ。子ども未来プロジェクトでチーム作りの本を作ったんだからあれを読ませればいいかな?」
ibooks author」でチーム作りの電子教科書を作ったので今度読ませてみたいと思います。