小さな気づきが世界を変えていく

「ちーさん」よりコメントをいただきました。その件について。
 
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初めまして。お隣新潟県に住んでいる小学2年の子供の母親です。
この記事に対するコメントでなくてすみません。
宿題として出される音読、毎日していると暗記し、適当になり、とりあえずこなすだけのものとなり、なんとなく検索して、偶然、音読カードの廃止の記事へたどり着いた次第です。
音読カードの廃止、うちの学校では「音読の習慣」を掲げているので、廃止は無いと思います。
「ダラダラするなら読まない方がマシだ」くらいに思うこともありましたが、親として全力で聞いてあげなくては!と思いました。
担任の先生は、今年度定年の女性ですが、すでに体力が付いていっていないのか、腰も曲がり、余力で過ごしているような方です。
しかし、給食の盛り付け時、汁物が1滴でもこぼれたり、盛り付けに少しでも差がでると(もちろんわざとではなく)とても怒ります。
他に、授業に使うノートの書き方は統一が原則で、誤って1行でも早く次のページに突入してしまうと、書いたページを消しゴムで全て消させて書き直しとなります。
我が家も先日それになってしまい、連絡帳に気をつけるよう書かれてしまった上に、それについて電話もかかってきました。
統一してノートを書かせ、差を作らせないようにしているのに、勝手なことをされては困る、、とのことでしたが、
私としてもイマイチ腑に落ちない所もあり、それが授業や、子供のために何かプラスになることなのか、こんな状態が今年度続くのかと、少し戸惑っています。
自分が小学生だった20数年前とは、様変わりしているのは承知ですが、素敵な先生に出会えた私としては、現在の担任の方針に疑問だらけです。
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つい数年前には教育の改革などはもう不可能なのではないかと考えていました。日本は30年後にはどうしようもないことになろうとしているのにいつまでも「今まで通り」ですもの。もちろんこれまでの日本の教育の「蓄積」というものは膨大であり、その中には大事なものだらけです。しかし、それだけでは30年後には対応できないことでしょう。
  
「音読」で効力を上られるのは「100マス計算」と同じようにきちんと戦略を立てて、それを系統的、継続的に組み込める教師だけです。しかし、多くの教師からすれは、宿題に出せば「自動的に」学力が上がる「はず」の取り組みですから、自分は楽して、できなければちゃんと聞いてくれない(指導してくれない)保護者が悪いとぶん投げることができます。音読を取り組み始めた教師や学校の理念がどっかに吹き飛んでしまうとこうなります。
 
こうした理念なき付け焼き刃はたいして効力を発揮しないのです。でも大事なのは、こうしてごく少数ではあるけれども保護者も気がつき始めたことです。SNSの爆発でこうした情報が本に頼らずとも、多くの人の目に触れることができるようになりました。また、当然教師も気がつき始めます。今まで「当たり前」が「ひょっとして当たり前ではないのかもしれない」と揺さぶられることで、もう一度自分の足下を見直すことにつながっていきます。改革とは橋本市長のような「力ずく」ではなく、こうして日本全国に点がうまれ、それらが線になり、そして面になっていきます。今は、無数の点が線でつながろうとしています。
 
 
ところで「ちー」さんはこれからどうすれば良いでしょうか?
 
おそらく担任の先生も「正義」で一生懸命やっているのだと思います。
ではその正義は何の正義でしょうか? 実はこれは保護者のためにやっていることでもあるんですよね。どの保護者から言われても「私は平等にしています」と。逆に考えると多くの教師は「自分だけ」とか「特定の子だけ」ということに対してのクレームを避けるようにしているということです。ですから、このような形になったのも実を言うと保護者側にもあるのです。
 
ですから、これからは保護者も教育という舞台に上がらなくてはならないし、どんな教育をともに作っていくかというレベルの話しを私たちもしなければならないのです。
 
「仕方がない」とあきらめずに、率直にこうした取り組みをしていて効果を上げている教師がいることについて話してみることが大事なのです。
でも、教師も人間。指摘やアドバイスを批判と受け止められることもあります。ですから一方的に話をするのではなく、その教師の考えも十分に引き出しながら、それも保護者として受け止めていく必要もあります。
 
保護者も「したたか」にそして「戦略」を持って変えていくということが大事なのだと思います。だって自分の子どものためですものね。
 
もちろん私たち教師も全力で発信していきます。