隠れた「悪」を見つけるということ

以前、雑誌で学級崩壊から休職追い込まれた教師の手記を見ていました。
どうして低学年の時に天使のようだった子どもたちがあんな状態になるのか、あんなに目がきらきら輝いていた子どもたちが……。
 
 
この記事を読んでいて「それはあなたが見えていなかったからだよ」と思いました。
 
 
新しい学年になりクラスの目標について話し合いをしていました。私はずっと子どもたちの様子を眺めていました。ある子どもが気になっていました。そのことに話し合いの中心の子どもが気がついて、みんなに言葉をかけて、行動を促しました。そのときに周りにいた子どもたちのある表情を私は見逃しませんでした。どうしようかと考えていたときに、もう一度その表情とあるちょっとした動きをしました。
 
普通にぼーっとしていると見逃すような短い時間、そしてちょっとした動きでした。でも私はその子どもたちを呼びつけて、そのことについて厳しく問い詰めました。すると「そんなことをしたのは今日が初めてです」そのうちに「○○ちゃんもよくやります」そんな話がずるずると出てきます。
 
「あー、長い間こんなことが起こってきていたのね〜」悟りました。時間にしておそらく1秒。その表情の変化を見逃しませんでした。もちろん私はスーパーマンじゃないから全てを見とれるわけではありません。でも問題が多発する多くの教室では「そうしたこと」が日常的に見逃されているとしか思えません。
 
その後「その問題」を子どもたちに返しました。こうした問題は誰の心にもあること、だからこそもっと自分たちのことについて話し合わなくてはならないことを子どもたちに伝えました。その上でこのクラスの目標をどうするのか、考えてもらうことにしました。
 
子どもたちは「おたがいがささえあうクラス」という一つの目標を掲げました。か弱い一歩を踏み出したにすぎない子どもたちです。しかし、その一歩は着実に前へと踏み出しました。今日が私の学級の始まりです。