まじめさは教師にとって毒にもなる

佐藤学さんが以前勤務していた学校でこんなことを言っていました。
「東北の先生は一般的に真面目。西日本の先生は一般的に脳天気。でも授業では東北の先生のその真面目さが逆に首を絞めている」と。
 
私も多くの崩壊したクラスを見てきた、そして自分自身も危うかった時のことを考えると、上記の通りだと思います。崩壊するのは、若手だけではなく、ベテランと言える経験年数の先生にも起こります。その多くがとても優しく、真面目な先生です。
 
もちろん、真面目さが直接崩壊に向かうわけではありません。その真面目さが「丁寧」という言葉をはき違えたときによく起こります。
 
「丁寧」というのは授業や子どもの成長に向けての対応を「丁寧」にすることであって、子どもに謙ることではありません。しかし、真面目さが間違った丁寧さを招き、子どもに謙ってしまいます。つまり、教育ではなくて接客業になってしまうのです。そうなれば、子どもの気分や行動に振り回されていくことになります。学び合いのような協同学習に切り替えて崩壊するのもこうした理由からです。
 
それでも、まだ子ども=客の質が良ければ、うまくいくことがあります。しかし、長い間抑圧された授業、そして分からないことが分からないまま終わっているような授業を受けてきた子どもたちは、上記のような教師が担任になると一気に質の悪い客になってしまいます。
 
学級崩壊はこの2つが重なったときに主に起こります。それを防ぐためには、教師という仕事は何かを常に問える教師であること、そして学校自体が子どもを能力を抑圧するような場にならないようにすることが大事です。
 
今日もネットで、小1プロブレムの話が出ていましたが、上記の点に当てはめていくと、理由が分かると思います。仮にとても厳しい先生が小学校低学年を担任していれば、その崩壊の危険性がその上の学年に移るだけです。
 
もちろん真面目さや誠実さは教師にとっても大事なことです。でもそれは子どもの成長に向けてのものでなければならないのです。