みえるもの、みえないもの

「次回は、授業中にみえていること、みえていないことについて書きます」
 
笑い話ですがこんなことがありました。twitter放射線のことをかなり誤解してツィートしてた人がいたので指摘しました。すると相手からはこんな返事がかえってきました。
 
「私がフォローしている人たちからはそんな情報(否定的な)聞いたことがありません!」
 
そりゃ、そうです。だって自分で「選んで」フォローしているんですもの。自分に流れてくるツィートが中立だと思っていたんでしょうね。でもこれは当たり前のことで人というのは情報を選んで取り入れているのです。
 
話を戻します。1時間、自分の側(黒板側)からビデオを子どもたちに向けて撮影してみてください。または横からでもよいです。恐ろしいものが映っているはずです。(ホラーじゃないよ!) 自分が観ていたはずの子どもたちと、ビデオに映っている子どもたちの姿があまりに異なることにビックリすると思います。そして、そこには子どもの姿を無視してかなり強引に授業を引っ張っている「自分」が映っているはずです。
 
実は授業をしている自分は、自分に都合のよい情報だけど選択的に取り入れ、他の情報はできるだけ見えないようにしています。でもこれは仕方がないことなのです。だって何でも見えたら脳みそがパンクしてしまいます。そうならないように、脳は情報を絞っているのです。もちろん、絞られるのは自分のとって都合の悪い情報なのです。
 
教師は授業をやっている時は「盲目」なのです。子どもに突っ込んでいればいるほど、見えなくなります。一方、ちょっと引くことで見えなかったものが見えてくるようにもなります。これは先に話をしていた「ぼんやりと見る」ということにもつながっていきます。
 
若い先生は是非、自分の授業のビデオを撮ってみましょう。見たくない姿ですが
それが「あなた」なのです。私? 以前はずいぶんとりました。授業の事後研究会にも流して指摘をいただくようにしたこともあります。ものすごく苦しいことなんですが、そこから自分の理解が始まるのです。
 
さて次回は、少し話は変わります。「契約の話」です。
 
次回を予告すると何を書くべきか分かっていていいな。ちなみに書く内容はここに書きながら考えています。こういうことも自分を鍛える楽しみなんです。(マゾじゃないよ!)