恨みます

教える授業になると「恨むことになる」と言うことにtoyohashi-startさんから質問されたのでここに書きます。
 
教えさせると、教える子も教えてもらう子も教師を恨むようになります。
スタート時は、子どもがやさしく教える姿にいたく感動し「これだ!」と誤解します。しかし、子どもはもっと利己的に動いています。得でしょ? なんて言わなくても得な方向におのずと動きます。
 
教えることを教師が語ると、子どもはこの先生は自分がやさしく教えることを望んでいて、それを評価(成績じゃないよ)してくれるんだと感じ、行動します。自分は教師から好かれたいからです。ですから教師の望み通り一生懸命に教えることを大事にします。
 
しかし、成績上位の子どもはそのうちに自分がもっと勉強を進めたい、自分だってもっと難しいことを教えてもらいたいのだと気が付きます。しかし、教師は相変わらず、教えることの「徳」を解きます。「みんなが」分かるようにしなければならないと。そのうちにそのギャップに苦しんでいくことになります。伸びたい自分と伸ばせてもらえない教師のはざまに落ちます。それでもずっとその状態が続くと、自分の得に動くようになります。教える時間を減らして、自分の学習にこだわり始めます。しかし教師は上位の子どもが自分の学習にこだわっている姿をしかります。「みんな」という縛りで。次第に教師も教える子も恨むようになります。密かに教師には見えないように。
 
また下位の子どもは、余計なおせっかいに悩まされます。そもそも「すぐに分かる」子どもの話は下位の子どもには通じにくいものです。それでも教師がその状態を看取れずに「素晴らしい!」なんて見ていることで、余計なお節介がもっと増えてきます。よくあるパターンは授業の最後に周りを取り囲まれてガヤガヤとシャワーのようにその子にとってわけのわからない言葉を浴びせられ、表情が曇り、涙を流す場面です。こんな苦しい授業を取り入れた教師を恨みます。
 
おそらくだけど。「二十八の瞳」で当初、不登校気味になった原因はこれだと予測できます。だから「分からない」って聞けることを大事にするようになったのでしょう。
 
これが「恨みます」のパターンです。