私はこの世に完璧な授業なんてそもそも存在するとなんて思っていません(まあ、誰だってそう思っているでしょうけれども)
だからこそ、今持てる力と能力を最大に発揮して、子どもを育てていこうと思っています。10年前よりは5年前が、5年前よりも去年は、そして去年よりも今年はというように。きっと来年は今年よりももっとよい授業ができるのではないかと思います。だから今「誰かが授業がうまくいっていない」となればものすごく気になるし、なぜその授業がうまくいかないのかが気になります。だからこそ、このブログでは厳しい話もするし、予測できる失敗はできるだけ防ぎたいという思いがあります。
 
かつて、このグループ内を荒らしまわった高校生を思い出してください。「恨み」の塊となったあの子を。実はそのような行動をとる子どもは大勢いることが分かります。結局は保護者とトラブルになってしまい、担任を外されたという話も。私はその先生を責めるつもりはありません。ただ、なぜ一人も見捨てないはずの『学び合い』でそんなことが起こるのかを真摯に受け止めなければなりません。しかも、このような話はブログ上に上がらないだけで、かなり多く私の耳にも聞こえてきますし、苦しんでいる教師と同じくらい苦しんでいる子どももいることに気が付かなければなりません。聞こえのよい話だけを私たちは聞いていてよいでしょうか?
 
furuさんの話も、授業を止めるかどうかに主眼を置いているのではなく、失敗をできるだけ避けるためには授業をきちんと見定めて、状況に応じて授業にストップをかけて修正した方が良いという話です。そもそも月に一度「在り方」を子どもたちに語れば授業がうまくいくなんて、理論的には可能でも私には土台無理な話です。毎日私は学ぶということについて何かしら子どもたちに語ります。授業で気になることがあれば2年目のクラスでも授業は一度止めて、軌道修正をかけます。なぜならば、「損」する子どもが出ないようにするためです。上記のような子どもが出たらもともこうもないからです。
 
そのため、実践授業数の多い私は当然失敗も多いのですから、予測できる情報は流します。場合によっては言葉が厳しくなる時もあります(もっと柔らかく伝えられればいいんでしょうけどね)