教えない

ETVで佐藤学さんも言っていたように『学び合い』でも「教えてあげる」なんて子どもに言わせるべきではないと思います。
 
ミニ「ひと」塾の講演でも、佐藤学さんは「子どもに教えさせてはいけない。必ず子どもは恨むようになる。」と述べています。私も全くその通りだと思います。私自身それで失敗していますし、やってうまくいった試しがありません。そのうち必ず「恨み」が出てきます。「ひとりも見捨てない」を勘違いすると上記のようなことをやらせてしまいます。もし、この指摘がウソだと思うなら半年やってみてください。必ずクラスは綻んできます。
 
ETVの教師が子どもを怒ったシーンは実はこれが発端になっていると予想します。私はなぜあの子が「答えだけでいい!」って意地を張って言ったのかよく分かります。ああいった特別支援になるような子どもはクラスの根っこに潜む情報を何倍にも表現するものです。あの子の「怒り・恨み」は、あの子に起こっていることではなく、あのクラスに起こっていることなんです。それでもあの教師はベテランだからそれをうまく補正して、柔らかいクラスづくりができました。しかし、経験の少ない若い教師がそれを簡単にできるとは思えません。

おそらく『学び合い』を実践している教室のほとんどでこんなことが起きていると思います。『学び合い』をただ自画自賛しているうちはこうした問題に気が付きにくいものです。しかし、そうした綻びで「損」するのは子どもたちです。そうしたことを軌道修正するのが、授業を深化させるためのすり合わせなのです。しかし、そのニーズはまだ少なく、考え方としてまだ成熟の段階とは言えません。
 
私は子どもに「教えなさい」とは言いませんし「ひとりも見捨てるな」なんて言いません。せいぜい「あそこでその考えが分からなくて困っているからあなたのその説明を話してみたら」と子どもをつなぐくらいです。
 
私は「教えて」といえる関係作りで十分だと思います。というか「教えて」という関係作りは「教えてあげてね」という関係作りよりも100倍難しいものです。それはうわべだけでなく、本気で子どもの力を信じることが必要とされるからです。
  
名人芸だとか、スーパーティーチャーだとか言われることがものすごく不愉快なのはそうした言葉は「あなたは特別よ」という括りで除外されることです。しかし、私は芸をやっているわけでも、特別なテクニックを駆使しているわけではありません。子どもが動くのは、きちんと子どもを看取ることができているからです。そこに芸だのテクニックだのはありません。まっすぐに子どもを見ることだけだと思います。そうするとなぜ「教えさせてはいけないか」分かると思います。