学校に「遊び」なんていらない

よく子どもたちの遊びをコーディネイトしている方がいます。本当に必要でしょうか? 私は必要ないと思います。
 
こんなことを書くと、「学校が勉強ばっかりで息苦しくなってしまうんじゃない?」なんていう人も出てくることでしょう。その前にどうして勉強が息苦しいものなんでしょうか? それじゃあ、まるで勉強することがその文字そのもののように「強いて勉める」みたい。
 
私は休み時間は子どもたちとはほぼ遊びません。子どもとの遊びは授業です。授業そのものが学びの場であり、遊びの場でもあります。私はあらゆる面でゲームと勉強は似ていると思います。RPGMMORPGともに共通するところがあります。自分が成長することの喜びや共同で課題(ミッション)をクリアすることの喜びは勉強の楽しさと似ているような気がします。
 
レベルの高い学習はそうした「遊び」の要素が十分に含まれています。とはいっても、「全員が〜できる」とかいった遊びではなく、追求する遊びであり、戦略を考える遊びであり、共同で学ぶ遊びということです。
 
この「遊び」を勘違いしている先生も大勢います。例えば教材屋さんではシールがものすごく売れています。キラキラシール、〜賞シール、頑張りましたシール。これらはそのご褒美に「シールをもらうこと」が学習の目標になっている典型です。また、ビー玉貯金なども同様です。よいことをすることが目的なのではなくて、みんなでビー玉をいっぱいにすることが目的なのです。
 
質の高い授業にすることで学びも遊びにすれば十分にそれでよいと思います。私は授業の中では「誰とでも・誰にでも」を絶対条件する代わりに、休み時間は全く干渉しません。「仲のよい友達と好きなだけ遊んで来たら?」と言います。「みんなで休み時間遊ぼう!」なんて野暮なことをいいません。
 
私は教師の絡んだ遊びなんて学校にはいらないかな。