「学び合い」は「みんなができる」ではない

内側の人間だからこそ、厳しく書きます。ご了承ください。
 
 
 
「学び合い」が崩壊する原因の一つが「みんなができる」です。
 
数年前の議論にもあったように「みんなでできる」にシフトしていかない限り、授業はいずれ崩壊していきます。もしも全時間「みんなができる」で課題設定して1年以上維持できている学級があったら教えてください。ただし全教科です。「自分の都合の良い」「単元」とか「教科」ではなくです。だって「学び合い」って考え方でしょ? もしもその考え方に不備がなければ全教科全時間成立できるはずですから。
 
以前、尊敬しているある校長先生(当時は指導主事)と授業の話をしていました。
「とんたんさん。あのね、最近ひどい授業を観てね。考えられるかい? 授業中に紅白帽子をかぶってるんだぜ。それで分かった人は帽子を裏返しにしてー、なんてやってるんよ。どう思う?」
「本当にバカな教師っているんですね。それが何を引き起こしているのか分からないのでしょうね。」
「子どもは半分分かったからウルトラマンだぁ〜ってやっていたよ(笑)子どもの方が賢い!」
 
まさか「学び合い」の授業でそんな実践がされているなんて夢にも思いませんでした。こんなものが広がっているのだとしたら批判されても何も言い返すことはできないでしょう。
 
私も「学び合い」の模擬授業ってあれなんなの?と多くのベテランの先生方から尋ねられます。私もまともに見たことがないので何のことを言っているのかがよく分からなかったのですが、よくよく聞いてみると「みんなができる」ということについて「非常に浅い考えだ」という話のようです。万時間単位で授業を突き詰めて実践している先生には、一瞬でそれが持続可能か、もし自分がやればどうなるか見抜けます。
 
「みんなができる」は持続モデルではありません。「学び合い」のとりかかりにはあってもよい授業でしょう。それでも早期にそこから抜け出さないといずれ授業は崩壊していきます。
  
想像してみてください。
「みんながあらゆることに必ずできることを強要させられる社会」を。
私ならまっぴらごめんです。
どっかの共産主義の国か悪徳宗教団体の姿です。結果として必ず取りこぼしが生まれます。そしてそれを子どもの責任にします。
それが「学び合い」の崩壊モデルです。大抵、上位の子どもが嫌気をさして親に「あんな勉強嫌だ。先生は自分は何もしないくせに、できないと自分たちの責任にされるんだ」と言うことでしょう。これで親は学校に怒鳴り込むことでしょう。
 
ここまで書くと「じゃあ、一人も見捨てない」はできないじゃないか?
と言われると思います。
そんなことは全くありません。その答えはうちの学校の「学び合い」エキスパート集団がその「意味」を明らかにしました。うちのエキスパート集団が出した答えは「不安」というごく簡単なキーワードでした。私よりもfuruちゃんよりも実は子どもたちの方がよく「ひとりも見捨てない」ことの意味を知っていました。
 
さて、その答えとは? 続きは有料で!(ウソ)