甘やかさない

学習支援プロジェクトは軌道に乗っています。しかし、このプロジェクトの目的は子どもに勉強を教えることではありません。
 
それは子どもの自立です。
 
こうした状況にあると、こうした環境とかけ離れた人は「可哀想」「何とかしてあげたい」と思うことでしょう。でも、それはいつまで続くでしょうか? 事態が落ちついてくれば、その子どもたちのことをたまに思い出しても、いずれ忘れていきます。でもそれは罪ではありません。当然のことですから。
 
この支援プログラムを立ち上げたのは、子どもの自立を目指すものです。どんな環境であれ、自らが学ぼうとすること。
 
むしろ、これまでDSばっかりやっていて何もしなかった子どもにも、段々うっとおしいと思いながらも放っておいた保護者にも甘えがあります。「子どもをどうにかしてくれ」「子どもに勉強をさせたいんだけど」そう思うなら、被災者であろうと自ら動くべきです。やればできたはずです。「周りが何とかしてくれる」というのはご飯も、睡眠も補償された中では甘えでしかありません。
 
だから勉強そのものにはいっさいの「甘え」の部分は持たせません。学ぶことは自分の為だと考えなければ、あの子どもたちには未来は開けないものなのです。
 
ですから支援プロジェクトは実は簡単なことではありません。
 
ですから「タラタラ」と学ぶ子どもたちにはfuru-tさんが説教をたれます。優しさというのはこういうものなのです。単純な優しさは子どもの未来を潰します。こんな環境だからこそ、支え合い、学び合える仲間作りが大事であり、そして何よりもきちんと勉強の力を付けることが大事なのです。
 
大げさに言うと子どもの人生をかけた「学び合い」の学習が必要なのです。
 
壺井栄『石臼の歌』
「勉強せえ、勉強せえ、つらいことでもがまんして。」
 
我々は石臼の歌なのです。