職人

「テーブルを作る」
 
今はコンピュータで打ち込めば木材の寸法は寸分の狂いもなく、同じ規格でできあがります。職人が同じ寸法で作る何百倍もの速さで。
 
50年後、そのテーブルはどうでしょう? 
職人は木目を木の状態を見てどのの部分をどのように切り、削るかをか考えます。ですから50年後もほぼ新品と変わりなく状態を保てます。更に年月を越えて風合いが加算されていきます。
 
しかし、そんなことを考えないで同じ規格で作ったものは次第に反れたり、がたつきが生じたりしてきます。50年後には使い物にはなりません。ですから、そうならないように樹脂などで固定してしまいます。しかし、そうしたものには「風合い」という歴史は刻まれません。
 
 
私はどちらかというとたたき上げの職人肌です(もちろんまだまだ修行中ですが) 授業を「観る」ときは、自分が授業を「する」以上に苦しいくらいプレッシャーをかけられながら、年間に何十時間も参観してきました。
 
今は授業の始まり5分も見れば20分後、40分後どのようになるかおおよそ見当が付きます。また、誰も見ていないところを観ています。子ども息づかいを観ています。子どもの目線を観ています。子どものオーラを観ています。これらは感覚で数値化できるものではありませんが、職人が木を触って、木の質感や特性を感じ取るように「感じる」のです。
 
でも一緒に組んできた、koutyさんも、furu-tさんもこの「感覚」を持っています。ですから、同じ所を観ていて、同じことを感じています。ですからこの二人はすごいのです。私みたいにしごきを入れられた人間からすれば、何でそんなによく見えるのさ?と嫌にさえなります。身内の学校だから「よいしょ」しているのではなく、恐るべき偶然の確率で職人気質の人が集まったのです。
 
機械の発達やコンピューターとの組み合わせで、より素晴らしいテープルはできるでしょう。でも、それらは「人間」が使うものです。そうであれば、「人間」として見極める部分がなければ同じ規格でも、使い勝手に差が生まれることでしょう。
 
私は授業というのは最終的に「人間」だと思っています。「学び合い」は人間力そのものが試されます。そこだけです。