「学びの共同体」から我々は何を学ぶべきか?

私は授業公開をする時、満点ではなくてもいつでも80点の授業はできます。それは「学びの共同体」の技術があるからです。もちろん、今ではできるだけそれは使いません。でも使えるのと、使えないのとでは違います。そして、使えるからこそ「見える」ということもあるのです。
 
「学びの共同体」で非常にうまく実践できている人はそれほど多くはありません。もちろん私も最初はそうでした。学びの共同体を実践していたときに、非常によい授業をする同僚とお互いの授業を分析し合って身に付いたことはいくつかあります。
 
これまで何度か書いた「後出しジャンケン」もこの時代に身につけたものです。
 
その他にもよくfuru-tさんには話す「ギュッパ」という子どもの意識のコントロールです。これは子どもを操るというものではなく、これも改題がブレたときによく使う手です。
 
そして、授業を分析する目。私は佐藤学さんが授業のどこを観ているのかいつも気にしていました。佐藤学さんと一緒に授業を観たことのある人は分かると思いますが、授業する教師とは別の所を観ています。私もその「真似」から、授業を観る力が育ちました。市内の授業公開に行くと自分だけが変な場所(私は教師用の机のあたりか黒板の横で授業を観ます)にいたりします。
 
「学び合い」の実践者も「学びの共同体」の授業をもっと観てみるとよいと思います。ただ、その中でもよい授業ができる人は限られていますので情報を拾ってみてみてください。
 
追伸
「学びの共同体」で授業のうまい人を見てみてください。あら不思議! 「学び合い」の授業での子どもとたいして変わりませんよ。