順番

私は教材研究もちっとも「無駄」だとは思っていません。
でもその基盤には「学び合い」に限らず、子どもの主体性が保証されていなければならないと思っています。
 
これを抜きに教材研究に走れば、子どもの意図とは別に教師のワンマンショウになってしまいます。それでも下手な鉄砲でも数を打てば、子どもがノリノリでやることもあるでしょう。でも、それは鉄砲なだけに「たまたま」です。
 
「学び合い」に反発される方がおります。極めて激しく。でも別にそうした人は特別に気になりませんし、むしろそうした人がいることが大事です。twitterのような公開の場で一つ一つ紐解いていくことができればよいのです。
 
一番やっかいなのは「取り入れる」という人です。一斉もほどほど、そこに「学び合い」を取り入れる、そこに教えて考えさせて、教師がコントロールすると。どん欲に取り入れているように見えて、こうした学級では子どもの変化は生まれません。
 
「静かに子どもを腐らせる」これが最も怖いのです。今日も中学校の教師になりたいと願う講師の先生と話をしていたのですが、「もし、子どもを説得させる自信(どうしてみんなで学ぶべきなのか)がなければ「学び合い」に手を出すべきではない」ということを話しました。
 
私たちは、授業の根底に子どものどう育てたいかという理念が必要です。その理念があってこその「学び合い」であり、さらにその上に教材研究や課題研究があることでしょう。
 
しかし、全ての子どもを説得することは実はそんなに簡単なことではありません。それは時に厳しさも必要なことでしょう。私だって、毎日、毎日、毎日、子どもに「なぜ」「どう」学ぶべきなのか、今何が出来ていないのかを子どもに語り続けます。その覚悟があってこその教材研究なのだと思います。
 
私は今、そこを乗り越えた、教材も課題も洗練された、「学び合い」でなければ決して到達できないであろう授業が見てみたいのです。最高レベルの「学び合い」を。日本を変える授業を。
 
だから私も毎日、毎日、「もがいて」いるのです。