下りる

この話は、教師に取ってものすごく重要かつ、ものすごく興味深い話だと思います。この7〜8年の蓄積で、確定的に言える話です。
 
小学校でも高学年になっても、かけ算、わり算がろくすっぽできない子どもが1割程度いると思います。これだけの学力差がある場合、通常の教師は対応出来ません。授業中はノートを取らせて1時間「暇つぶし」させるのが関の山です。こうなると、子どもに3年生程度まで学習のレベルを下げて勉強させた方がいいのではないかと思うようになります。
 
事実、放課後の学習支援部では、担任の先生から「宿題をやらせて欲しい」だの、「九九を勉強させたい」だの、そんな話が必ず出てきます。僕は一切、そうした要求を飲みません。まず、子どもが学習のレベルを下げたところでどんなに学習ができても、子どもは傷つくだけなんです。九九が出来て「やったー!」なんて言うかもしれませんが(教師のレベルをさげた褒め言葉でね)、それで自分が授業に入って行けるはずがないことを子ども自身がよく知っているからです。子どもはとてもプライドが高いのです。
 
僕のクラスでは、算数は今、能力別学び合いで進行しています。でも最下位の学び合いのゾーンでも、学習内容を下げたりはしません。もちろん、九九がおぼつかない子どももいますが、自分の学年の学習内容を進めながら、
「えっと12÷4は割り切れないから・・・」
「それ割れるんじゃない?」
「あっ、そうか、3で割れるね。」
見ているとそんな会話をしながら勉強を進めています。
 
逆に「学び合えば僕だって5年生の勉強について行けるぜ!」そんなポジティブな気持ちの方が勝っていき、子どもの意欲を高め、結果的に学力は高まります。


だから、授業でも、宿題でも、学習支援でも、子どものレベルを下げてはいけないんです。大事なのは、それを一緒に考えていける勉強仲間なんです。その環境さえ整っていれば、子どものレベルを下げる必要なんてないのです。

叱る

僕はよく子どもを厳しく叱っていました。忘れ物をした子、友達にひどいことをした子など、強く厳しく叱ることで、それを繰り返さないようにと。でもある飲み会の時に、某大学教授が「忘れ物をした子どもを叱っても、何にもメリットなんてないよ。」そんな一言にはっとしました。
 
確かによく考えてみると、厳しく叱っても、その子が忘れ物をしないなんてことはないし、下手すると「坂内先生に叱られるから持って行かなければ!」なんてことになりかねません。(というか事実そうでした) 僕も叱ってイライラするし、その厳しさは学級の子どもに共鳴しますので、それを見ている子どもも苦しくなります。
 
ということで、最近は子どもが忘れ物をしても怒りません。僕が持っているものは笑顔で貸してあげるし(笑顔で1回100円な!と)、教科書も僕が使わない時にはかしてあげます。子どもには感謝されるし、感謝した子どもは相変わらずまた忘れるんだけど、次はもっとばつが悪く言いにくる(そんな時も笑顔で貸してあげます)ので、まあ反省はしているんでしょう。
 
ただ、子どもには2つのことを強く言います。一つは、「先生や友達に貸してもらったら、最大限に感謝しなさい」ということ。これはもっとも厳しく子どもに言います。子どもは「貸して!」って言われると、優しいので貸してくれます。でも、「ありがとう!」の一言、そして貸してくれる人も気持ちを考えることを僕は絶対に要求します。
 
また、同じものを1週間忘れるということについては、僕は「それは忘れ物とは言わない、『だらしない』だな。」と子どもに言います。忘れ物は怒らないけど、だらしないのは大人として嫌だなと言います。そうならないように「どうしても忘れないようにしたいのなら手にペンで書いて帰りなさい」と子どもにいうようにしています。
 
そして、僕も子どもに約束していたことを忘れちゃうこともあります。そんな時には、きちんと誤るようにしています。教室の子どもがモデルにするのは、やっぱり僕なんです。子どもは僕の姿にシンクロしているんです、