教師が学ぶべきこと(ある方にじっくりと話したこと)

「あなたは学んでいますか?」

今は全国でたくさんの講座やセミナーが開催されています。子どもの学び方から、学級づくり、教育理論から、目指すべき教育の方向性などなど、とても多様です。そうしたところで学ぶことはとても大事なこと。
でもね。あなたは自分の足元を大事にしていますか?毎日の授業。次期学習指導要領では、学び方「も」重視しているけど、それは何を学ぶのか分かっていることが前提だね。
書写。僕の知っている書写の得意な先生は、自宅で夜な夜な写経し、自分の書写の力を高めていました。
理科。理科は僕の専門だけど、どんな実験か道具も薬品も分かっているけど、夜中まで実際に自分が実験して結果を確かめてきたことも。
教科書を徹底して読む、学習指導要領を読む、教科教育について徹底的に話し合うこと、そうしたことを抜きに、子どもとのつながりがとか、教育とは?なんて話をしても、実践しても空回りしていくのは目に見えている。
僕は「見せる授業」はうまい。周りを納得させられない授業をやっても僕の意見は通らない。だから失敗しないだけの積み重ねをしてきた。そこには教材研究という確たる基盤がある。だから学び合いの授業をやっても崩れないし崩さない。協同学習は下手すると教材研究しなくても、授業が成り立つように見える。しかし、それはいずれ協同学習のゆらぎを大きくし、子どもの学びを途絶えさせる。教師が学ぶべきことは、常に両輪。教育論も教材研究も。どちらかだけでは授業は成り立たないのです。

「周りが認めてくれない」

では、あなたは周りが認めてくれるような結果を叩き出しているのでしょうか?
僕は校内授業でも、市内の授業でも「これは酷いな」と思われるような授業はしない。ときには僕に批判的な人もいる。そうした人がいるからこそ、納得させるだけの授業を見せる。
それは管理職にも。僕が学校である程度好き勝手させてもらえるのは僕の実績があるから。「坂内には任せられない」そう思われるようならそれは僕の力が足りないということ。
僕の朝の仕事はお茶を入れて配ること。爽やかに、にこやかに。自分のことだけでなく、相手のことも大事にすること。「分かってくれない」「認めてくれない」と言う前に、認めてもらえるだけのことをしっかりとやる。「さすが!」と思われるようなことをする。
一つのことでもよいから、誰が見ても(それは子どもや保護者からも)「この先生はすごい!」そんなものがなければ、話なんてちゃんと聞いてもらえるわけないし、ましてや「認めてもらえる」わけなんてないのですよ。まずは認めてもらえるような仕事をしましょう。