職人

日本には教師が100万人ほどおりますので、日本だけでも教育実践や理論などは膨大にあります。日本人ってとても細かな所にこだわる民族なのそうした実践や理論はさらにバリエーションも豊かです。
 
若い頃から様々な教育の理論を聞いてきたし見てもきました。理論を唱える本人が授業を行うこともあります。しかし、多くの授業はひどいものです。もちろん、授業自体がうまく行かないことは私だってよくあることです。でも子どもの育ちを見れば一発で「普段」の授業でどう育っているか見透かすことができます。
 
例えば子どもの学び合いの学習が大事だと言いながら、授業時間の半分を教師がだらだらと話している授業なんてざらにありますし、それを提唱してる大学の先生の模擬授業が一番ひどいなんてこともよくあります。以前見た授業では45分の35分大学の先生が話をしていたなんていう笑えないものもありました。 
 
また、事後検討会で授業がうまくいかなかった理由として「まだ○○について勉強不足で」という言い訳もよく聞きます。確かにそうなのでしょうけど、だったら「そんなものやらなければいいのに」と思います。
 
一方で理論だとか方法なんて語らずとも「いいね!」って思えるような授業をする先生も大勢おります。先日も校内で授業公開したクラスがありましたが、様々な課題はあれども、こうした授業を毎日やっていれば「算数が嫌いになる」とか、「自分はどうせできないから」なんて諦めちゃうような子どもはいなくなるよねと思えるものでした。
 
私は今はほとんど教育実践の本を読むことはありません。どんなに素晴らしい理論を唱えようともその本人の授業が下手であり、子ども自身が育っていないのならどうしようもないですよね。
 
私は現場サイドの人間ですから、自分の実践の証明も結果も自分の受け持つ子どもの中にあります。「職人芸」という揶揄するような表現は大嫌いですが、私は職人でありたいと思います。理屈は立派でも塀がゆがんでいるような職人に仕事は頼みたくはないですよね。教師の世界も同じです。ですから自分の持つ道具の手入れは大事だし、手順、そして仕上がりにもこだわります。そして何よりも今のデザインはどんどん一般化、陳腐化しながら「次」の新しいデザインを考えていくのです。