結局は「愛」

教師としての1年目は初任者研修というものがあります。
私の時からきちんと制度化されたと聞いています。
まあ、ざっくりと100時間程度の研修がありますが校内にはその研修を担当する初任者研修担当教員がおりましす。
 
私の最初の勤務校は大規模校でしたので毎年2〜3名ほどの初心者が入ってきていた時代でした。(今では市全体でで10名以下らしいです)
私は社会人から採用された同期と2名で研修を受けることになります。
 
担当はO先生。年配の女性教諭です。ところがそのO教諭についてはきその厳しさで市内にその名が轟くほどの方のようです。
私は会う人、会う人に「大丈夫?」「1年の我慢だからね!」と全力で心配されたものでした。
 
確かにO先生には、当時甘ちょろく、チャラチャラしていた私は手厳しいご指導をいただきました。
「派手な色のジャージで黒板の前に立っちゃダメ(そんなの関係ないじゃん!)」
「そのチャラチャラした腕時計は何?(これ個性ですよね?)」
「だらしない!(すんませーーーん)」
「仕事の手順が悪い(しょうがないでしょ初めてなんだから)」
「遅い!(だから初任なんです!)」
「通知表に消しゴムのカスがたくさん(41名もいるんですもの急いでたんですよ)」
 
これは映画「プラダを着た悪魔」のもうちょっとかわいいもんだと考えてよいと思います。しかし、私はこのO先生が嫌いではありません。私が授業をする時にも時間を割いてくれて相談にのってくれましたし、厳しい言葉の端々に愛情を感じるからです。上記の言葉は私が嫌いだから出しているのではなくて、こう育てたいというビジョンがあっての言葉でした。非常に愛情に深い先生だと今でも思います。
 
今考えると上記の言葉はとても身に染みています。
私は子どもの前では通常ジャージでは立ちませんし、ましてや派手な色合いのジャージは買うこともありません。その時にいただいた一つ一つの「お説教」は全て理にかなっていることだとこの年になって理解できます。
 
私を社会人として独り立ちさせてくれたのは間違いなくO先生です。
時に「厳しさ」は人を不機嫌にさせ、不愉快にさせ、落ち込ませ、そして迷わせもします。しかし、その時には分からないその人の愛情が人として成長させるのです。
 
プラダを着た悪魔」そのものですね。人を動かすものは優しさや技などではなくて、その人に潜む愛情だと私は思います。