スーパー教師というもの

私も実力のある先生のことを「あの人はスーパー教師だね」なんていうことがあります。しかし「私はスーパー教師になんてなれないし」とか「普通の教師でありたい」とかいう人を見ると私は本当に嫌な感じがします。
 
例えば料理屋さん。この料理人が「私はふつうの料理人でいい」とか「こだわって料理をするのなんて無理」なんていう店に誰が好んでいくでしょうか?
 
例えば大工さん。「私は普通に家を建てればいいんです」「私にはこだわって家作りなんて無理です」なんていう大工に誰が家を建ててもらいたいと思うでしょうか?
 
例えば医師。「私は普通の医者でいいんです」とか「私はすごい医者になんてなりたいと思っていないし、なれるとも思っていません」こんな医師の診断を誰が受けたいと思うでしょうか?
 
 
「スーパー教師」という言葉は一人歩きしている言葉ですが、私はきちんとこだわり続けることのできる教師こそがスーパー教師だと思います。私は例え定年の1年前になっても「もっとよい授業とは」を追及していきたいと考えます。
 
それを10年も経験しない教師が「普通の教師でいい」とか「そんなの無理」とかいうのを聞くと本当にイラッとします。もし、そんなこだわりがないのなら上記の職業のようにお客が迷惑するわけで、教師として適切ではないと思います。
 
もちろん、私を含めて誰だって完璧なんてありゃしないし、若い時は力不足で、無知であるに決まっているんです。だからその時代にお金も時間も投入してよく学ぶべきなのです。今では来校する若者をボコボコにしちゃうことがありますが、それは私の激励です。私の若いときよりもずっと真面目で、一生懸命だからこそ次世代の一流の教師に育って欲しいと願います。
 
もちろん、私だって毎日反省を重ねています。「あーあ、もっとうまい方法なかったかな〜」とか「子どもに悪かったな〜」って家に帰ってからも頭の中を巡ることもあります。だからこそ私はやっぱりスーパー教師になりたいし、なっていかなくちゃいけないと思っています。それは何よりも子どもにとっての一生に一度の大事な教育の場に携わっているのですから。