「学び合い」そして「一人も見捨てない」

「学び合い」が心理主義教育だとか詐欺教育(笑)だとか、言われる方もおります。
 
もう一度振り返ります。
私は「学びの共同体」の学び合いで、同僚の話し合いながら腕を磨き、授業研究でも「そこそこ」いい授業はできるようになったと思います。少なくとも授業研究で誰に見せても「話にならない」なんて言われない授業はできます。しかし、致命的だったのは、卒業させた3人の子どもが次々と不登校になってしまったこと、そして授業の変革のきっかけとなった「ばかおに」に対する答えがないことでした。
 
※「ばかおに」に関するエピソード
http://manabiai.g.hatena.ne.jp/tontan2/20090315
http://manabiai.g.hatena.ne.jp/tontan2/20110210/p1
 
結局学習下位の子どもが救えていない、学習に真に向き合える子どもを育てていないというのは、8年前の私の姿です。「そこそこうまい授業ができる」のにです。
 
私の足りない最後のピースは「学び合い」で見つかりました。そのピースとはとても簡単なものでした。「子どもを信じる(任せる)」それだけでした。それまでの自分は鵜飼の鵜を巧みにコントロールする術を知っていました。が故に、子どもを真から信じることはせずに、学びをコントロールすることに執着していました。
 
おそらくこれに気が付かないかぎり、どんな学習方法であろうとも子どもを切り捨てることになるでしょう。「仕方がない」その言葉で。「どんな子どもも見捨てない」ということは、教師主導である限りは無理です。これは断言できます。 
 
「学び合い」は授業方法ではありません。分からないことを分かる子が教える学習でもありません。「学び合い」とは授業に関する理念です。ですからアプローチの仕方は人それぞれにあるでしょう。私は私のやり方でそれを目指しています。
 
私のクラスもまだまだ足りないところがあるクラスです。でも今日、ついにある領域に達したと思えることがありました。明らかに3年生のころとは違う、何か拍子抜けするようなするような感覚でした。でも本当に些細なことなんです。ここに書くことが恥ずかしいくらい。でも本当にすごい集団に成長したなと感じました。
 
「ひとりも見捨てない」
 
私のクラスの子どもたちがその本質を語ると思います。