授業を決めるもの

これまでの学習の進め方で批判にさらされなかった学習方法はありません。
そして流行があるように指導方法もどんどん変わっていくものです。 
 
これまでの歴史の中で名だたるスーパーティーチャーも存在してきました。映画になった人もおります。ただ、そうした教師の授業をトレースしても自分の授業が破たんするだけです。なぜ、子どもがハチャメチャな学習(良い意味でね)についていくか分かっていないからです。
 
これは今も同じです。私はいわゆる「先進校」という学校にもいたし、それに類する有名な学校はかなり見てきましたが、そうした授業を見て自分の授業が変わったことも、レベルアップしたこともありません。
 
若いころはそんな学校で授業することにあこがれていましたし、名だたる教師のように自分もすごい授業ができるようになりたいと思っていました。でも実際に自分の授業の質を決めてきたのは「人」との出会いです。
 
技術の伝達ではなく、方法の伝達でもなく、「人」なんです。この人がどんなことを考えているのか、どんな未来を見ているのか、子どもをどう見ているか、それが自分の授業を向上させてきたと振り返ることができます。
 
でもそれは、決して先輩だけではなく一回りも年の違う後輩にも学ばされることがあります。そうした人と話し合うのはとても気持ちのよいものです。ここ数年間ではkoutyさんとfuru-tさんとの出会いが大きかったと思います。
  
「学び合い」とは技術ではありません。私は生涯このスタイル崩すことはありません。なぜなら「学び合い」は技術や方法の集合体ではなく、「人」の集合体だからです。これはこの20年ほどのネット社会の変容を見ると分かると思います。技術はどんどんすたれていきますが、ネットを通して情報を発信し人とつながっていくというベクトルは何一つ変わりません。
 
「学び合い」は人とつながりあうというごく単純で、本質的なものであり、このベクトルが教育の本質だと私は考えます。