プロフェッショナル

例えば「小学校教師」
 
何のプロフェッショナルなのでしょう?
教科教育の集まりでは「それぞれの専門性を生かして〜」なんていう訳の分からない話をよく偉い方から聞かされます。
 
「専門性」を自負している人の授業を嫌になるほど見てきましたが、
冗談抜きに今まで「一つも」まともな授業を観たことがありません。
 
「今日の授業がうまくいかなかったのは、教材の研究を見誤って」
「子どもが予想外に」
「こんなものも準備すれば」
 
こんな話で授業研究会の言い訳が始まります。
そして参観している「専門性の高い方」も終始自分の成功体験を語ります。
しかし、こんなことでしか教師の力量を評価する基準がないものだから、ぶっちゃけ授業がどんなに下手でも、研究実践のまとめでは素晴らし賞を頂く方もいらっしゃいます。
 
これがどんなことなのか、教師を医者に置き換えれば簡単に分かることです。
 
「すごい!」という授業をする教師は、子どもとの向き方が違うのです。
だからどんな教科でも、公開する前の時間の授業でも「普段と変わらない」ものです。
 
小学校教師の専門性とは何でしょう?
 
私は「学ぶことが好きなる」ということこそが、小学校教師の専門性だと思っています。毎日、学校に来て楽しく学ばせることという極めて単純なことです。その為には発達心理学にしても、認知心理学にしても脳科学にしても、もっと専門性を意識してどん欲に学ぶべきだと思います。
 
「学び合い」は決して「裁量の放棄」でも「専門性の放棄」でもありません。極めて強烈な教師の専門性が問われます。持続させるのが苦しいのはこの専門性を常に子どもと向き合うことで問われるからです。
 
教科の専門性はその次のステップであるべきです。何十年という中で磨き上げていけばいい。「まずは」子どもが生き生きと学ぶことが大事なのです。
 
じゃ、中学校・高等学校ではどうでしょう?
「寝ている」であろう半数近くの生徒を起こせるのは、教科の専門性ではないことでしょうね。