なぜ公開できない?

2学期最後の職員会議。いつも一突き意見は入れさせていただいています。今年も多くの反省が出されながらも、ほぼ「まあ、仕方がない」と流されていきます。
 
来年度は新学習指導要領の完全実施です。1・2年生もほぼ毎日5校時なります。そこに来年も部活動を入れればどうなるでしょうか?子どもを送り返して、休み暇もなく部活動に行くことになります。じゃあ、1年生の細かな連絡・調整・準備どこで? 
 
これ以上部活動を維持していけば勉強は必ずおろそかになります。その「おろそかさ」というのはテストの点数が下がるとうものではなく、授業が貧弱になるということです。おそらくほとんどの先生は単元15時間の授業を12時間程度で終わらせなければ辻褄が合わなくなります。そうなれば子どもが主体的に学ぶ活動は極力削られるはずです。そして通常は一斉授業で分からない子どもがいても取りこぼしながら、いくことでしょう。そして授業が分からなくても「家でもっと勉強させてください」と保護者に訴えることでしょう。それが学校の役割でしょうか? 
 
会議で、こうした状況を保護者にもオープンにした上で、教育課程の編成にあたるべきだと提言しました。100という器には100という水しか入らないのです。そこにあたかも120の水を入れているように「見せかけて」います。あたかも子どもが自分でやっているかのように。
 
学校で何を大事にして欲しいか? 保護者も考えるべきであり、その場を学校は用意すべきなのです。それでも部活動を保護者が学校に求めるのなら我々もやりましょう。勉強を捨ててでも。「どちらも」はいかないのです。それでこぼれるのは結局、運動も、音楽も、勉強もできない子どもなのです。でも保護者がそうした子どもを学校が見捨ててもよいと思うでしょうか? 自分の子どもの学習が貧弱になっても仕方がないと思うでしょうか?
 
でも学校は「見捨てない」といいながら結局は見捨てているのです。だからそれに我慢できなくて、我々何人かの教師で放課後に学習で見捨てられそうになっている子どもを拾い上げて、授業という舞台に戻す作業をしているのです。
 
我々は現状を保護者や世の中の人に公開すべきであり、そしてともに学校を創り上げなければなりません。これは「学び合い」をしているから分かります。どんなに優れた教師でも「みんな」には到底及ばないのですから。
 
我々は「学校」を真の意味で開く必要があるのです。