教育を変えるということ

「学び合い」はこのままでは広がりません。
そして、私は教師に「広げよう」なんて思っていません。
無理なのです。
 
例えば力のある校長・教育委員会の方が「学び合い」を推奨し、学校単位で実践したとします。間違いなく「その方」がいなくなればいずれ実践しなくなります。それは今の自分の学校でも同じことが間違いなく起こることでしょう。そうした状況を嫌というほど私は見てきました。それは「学び合いの会」にしても同じで、教師が主体である限りはいずれその広がりは行き詰まっていくと感じます。
 
また、iku-nakaさんのおっしゃるように多くの教師は莫大な仕事量に翻弄されています。本市も全国からみればウソみたいな部活の量を小学校から平気でこなしています。そして授業がどんどんやせ細ってきていますが、教師自身もそれに気がついていません。そしてクラスが崩壊寸前になり、大騒ぎになって初めて気がつくという状況があちこちに出てきています。
 
「じゃあ、無理で何もしなければいいのか?」
 
そうではありません。
「学び合い」が広がるのなんて本当は簡単なんです。「ニーズ」あればよいのですから。 
 
日本を変えるというのは国民のニーズを変化させるということなのです。
ただヨーロッパがそうであったように、そのニーズの変化には百年単位の時間がかかるということなのです。これがネットワークの構築でどれだけ短くできるかということなのだと思います。
 
私は「広げる」のではなく「ニーズ」を作ることを地味にやっていくだけです。