「学び合い」は若手には難しい?

twitterにこうした指摘がありましたので「そうではなく信念の問題」だと言いましたら、反論がありましたのでまとめてここに書きます。
 
そもそも、若い教師がいきなり何でもうまくいくかというとそれは難しいことでしょう。そんなの何の仕事でもそうです。マクドナルドのカウンターでも、調理場でもそうでしょう。
 
じゃあ、マニュアル通り「方法」をマスターすれば誰でも人から感謝されるような仕事が出来るかというとそうではありませんよね。人から感謝されるような仕事も、人を引きつけるような仕事も、その人の内面から生まれてきます。それは「頼れる」「この人なら」という安心感です。
 
学級崩壊は、若手よりもベテランに起こっています。以前なら50代の教師で小学校の低学年が崩壊することはありませんでしたが、近年は簡単にそれが起こります。
 
そうすると、ベテラン教師はその崩壊する理由を社会と子どもと保護者に見出します。それはそうかもしれませんが、それを最も時間をかけて変えることのできる立場にあるのは「自分」だということを忘れています。
 
「学び合い」に関しても確かに子どもの経験の浅い教師にとっては、しかりどころや子どもの軌道修正では手こずるでしょう。でもそんなのはどんな授業をしようとも手こずるのです。さらにそして素晴らしい実践をする先生もそれをくぐり抜けてきています。それをくぐり抜けるのは「方法」なのではなく、その教師の持つ信念なのです。子どもはそれを見抜くのです。
 
以前、学びの共同体の公開で全体授業をすることになった先生は、1時間の授業のために100時間以上の教材研究をし、多くのベテラン教師からアドバイスを受け、方法を伝授され授業を行いました。結果は「ドボン」でした。子どもは1時間ほとんど発言もしないまま授業は終わりました。
 
うまくいく人とうまくいかない人との違いは、方法にあるのではなく、この先生ならちゃんと受け止めてくれるという「安心感」なのです。
 
ここにはベテランも若手もありません。子どもは教師を見るのではなく「人」を見ているのですから。