子どもを主体にするということ

「学び合い」の課題は、教科書ベースでよいという話を書きました。でも内容をより深化させていくためには、指導要領をベースとした学習を組んでいく必要があります。もちろん以下の話は「学び合い」がきちんと成立した後の話としてです。
 
3年生の社会科では地域の販売、そして生産を見学学習をすることでものや人とのつながりを学んでいく学習を行います。
 
どこの教科書にも、「スーパマーケット」の様子がとても詳しく掲載されています。以前にも書いたように、教科書にはそれにそった課題が載せられています。
 
例えば、
「スーパーマーケットではお客さんのためのどのような工夫があるのでしょうか」などです。通常ですと、近所のスーパーに見学に出かけ、見学して、質問して、まとめて終わりです。
 
でも指導要領ではどう書いてあるでしょう?

「地域の人々の生産や販売について,次のことを見学したり調査したりして調べ,それらの仕事に携わっている人々の工夫を考えるようにする。」ことに対して、
「近所の小売店、スーパーマーケット、デパート、コンビニエンス、移動販売などが考えられる」です。
 
これを子どもたちに読んであげて投げます。「どうしたい? 学ぶのは君たちだからね。先生の仕事は君たちの願いを叶えるためにお店と交渉する仕事よ」
 
これに対して子どもたちは言います。
「比べるといろいろ分かるんじゃない!」
「そりゃ、いけたら全部行けたほうがいいけど・・・ いいんですか?」「スーパーマーケットは教科書に詳しく書いてあるし、行かなくてもいいんじゃない?」 
「いつも行ってるからイメージがつかめるね。」
 
と言うことで、
「うすいデパートに行きます!」
セブンイレブンに行ってきます!」
「近くの駄菓子屋さんに行ってきます!」
 
そんな話になりました。
「やりたいことをやる」ことは学習の基本です。
 
でもこの「やりたいことをやる」という言葉には多くに教師には抵抗感があります。「そんなことしたら好き勝手やるんじゃない?」と。
でも、目標は指導要領でちゃんと決まってるんですから、何が分かるべきかを示せば、子どもたちの学びはそう崩れたりはしません。
内容を自由にするのではないのです。学習方法を、目標にたどり着くためのプロセスを自由にするのです。
 
しかし、だからといって一人一人が思うことをバラバラにすることはできません。だから「クラス」としてどんな学習をしていこうか話し合い、折り合いを付けなければなりません。ですから「学び合い」でしか成立できないのです。「自分は」ではなくて、「自分のクラス」では、こんな学習をしていこうよという考えを持つことが「学び合い」と主体性との架け橋なのだと思います。