何が行われているのか?

TBSの「夢の扉」。
オープンスペースであることの利点を話す校長。
 
「きめ細かく学校内を回り授業の様子や子どもに声をかけられる」
「同僚の先生が授業を日常的に参観できる」
 
と言います。一見良いように感じます。
しかし、「学び合い」をしていれば、ちょっと授業を多く観ていれば、0.5秒の映像も見逃しません。
 
なぜ、その学校の子どもは授業のチャイムがなったとたんに、駆けだして遊び場に向かうのか?簡単です。「解放されたから」です。
 
カメラは学校の授業の風景をぐるりと写します。どの教師も子どもの視線を引きつけようと必死です。
同僚は若い力のないであろう教師の教室を覗き、その授業力を計っています。とても共有し合おうとする目線ではありません。
 
日本のオープンスペースタイプの建築は、ほぼ失敗に終わっています。
福島県にも多くのオープンスペースタイプの建築がありますが、最近では作られなくなりました。多くの場合、「うるさい」「集中できない」という理由で。
 
もともと、空間を解放する意味はなんでしょう? 教室の空間を解放するには授業そのものが変わらなくてはなりません。
 
校長が学級を回りやすくするとか、みんなで子どもを見張れるとか、力のない同僚の授業にアドバイスできるとか、そんなことのために空間を解放している訳ではないのに。
 
広い空間で複数学級が「学び合い」で学習していても全く気になりませんし、相互作用も生まれます。しかし、調べ学習をしている学級と一緒になるとそのキンキン声に頭が痛くなってきます。
 
これが現状の日本の教育です。具現化できる力がないのです。分かりやすく教えることが最上の教育であると信じている限り、器は変わっても何も変わらないことでしょうね。