学ぶことを楽しめる子どもへ

私はよく料理をします。よく魚屋さんに行きおすすめの食材をどう料理して食べようか、嫁さんと悩みながら買い物をします。
 
私がもし、よその誰かから(それが嫁さんだとしても)「作ってね」と言われれば、そのとたんに「作業」になってしまいます。幸い嫁さんは一度も「作って」とも、「作るべきだ」とも言いません。ただ、「おいしいね」と褒めてくれます。だから料理します。私にとっての料理のモチベーションとは、食材を見てわき上がる衝動(おいしくもの作ってみせるぜ)、嫁さんの評価(おいしいね!)です。それは楽しいもの。
 
学習はどうでしょうか。何のために子どもは学ぶでしょうか?所詮、やりなさいと言われたことは、長続きしません。第一おもしろくない。子どもが学び続ける最大のモチベーションは「楽しさ」のはずです。
 
でも「学び合い」が気を付けなければならないことがあります。クラスのみんなが出来るようになることは確かに大切であり、誰も学ぶことに不安であってならなりません。でも、クラスみんなができることを最終的な目標にしてはいけないと私は思っています。
 
クラスのみんなが「100点」をとる。
 
学習の状況としては私はよいと思います。しかし、それを「目標」にすべきではありません。それを目標にすると、子どもの学びがひずみます。
子どもは100点とる為の手法を考えます。そしてその手法がうまくいくかどうかに「楽しみ」を感じるようになります。「学び合い」の初期段階として子どもに効力を示すにはよい方法かもしれません。しかし、それは「長続き」しません。100点(それは90点かもしれませんが)取ることが目標になっているクラスを1年間というスパンでイメージしてみてください。苦しくありませんか?会社で考えてみてください。苦しくありませんか?
 
そんな目標を与えなくても、子どもが差別されないことと、分からないことが分からない、と素直に言える環境があれば子どもは学ぶことが好きになります。例えうまくできなかったとしても。
 
料理をこれからも続けていくには「それが好き」でなくてはなりません。
そして、それを「おいしいね(それは例えお世辞でも)」と言ってくれる人がいなければなりません。失敗(まずく)しても「今度は、こうしてみようかな」と思えるような、温かな目で包んでくれる人がいなければなりません。料理をし続けることができる今の環境に感謝しています。