駆り立てたもの

実力も何もないくせに若い頃から
「いい授業って何?」
「どんな授業をすればみんな(教師)からすばらしいって言われるの?」
ってことを考えていました。
 
そうした自分を駆り立てたものは、
東京で教育実習をしたときに隣のクラスの担任だった
ある音声言語教育で高名な先生から
「私ね、東北の国語研究会に参加したら、かなり古い授業をしていて情けなくなったわ。」
という一言でした。
 
自分がなろうとしている東北の教育がそんなに遅れているのか!
という衝撃が半分
馬鹿にしてんじゃねーぞ! みてろ!
という怒りが半分でした。
 
今なら「あなたの授業に未来を変える力はありますの?」と、
そう言った先生にも反論できることでしょう。
でも、感謝しています。
その一言が自分を変えくれた一言でもあるのですから。
 
ある時期私は、
「もっと偉大なる教師になってその名をとどろかせてみせようぞ!」 
「誰もが認める教師になろう!」
そう思ってきていました。
 
今、自分を駆り立てるものは教師から認められることでもなく、
素晴らしい授業をみせつけることでもなく、
ただ、目の前の子どもを楽しく、楽しく学びに向かわせることだけになりました。
 
余分な脂がそぎ落とされた分、軽く子どもに接することができるように思えます。2年前よりも、もっと軽い力で授業が出来そうな気がします。
子どもが「できない」「分からない」ことを「だーいじょうぶよん!」と笑い飛ばせる時間が増えることでしょう。
 
定年する頃には、目だけで授業をしてるかもしれません(笑)