ベストな方法などありません

毎日、毎時間、そして2年という月日を重ねても、こうすれば絶対にうまくいくという「学び合い」があるわけではありません。課題も手探りで子どもの状況に合わせながら補完しつつ行っています。今の子どもたちには(少なくとも算数は)課題も必要ありません。3学期は一度も黒板にめあてを書いたことがありません。
 
おそらく今の課題設定を2年前の子どもたちにやったら、学級は崩れてしてしまうことでしょう。それこそ、保護者からも批判に曝されると思います。多くの教師が「学び合い」を実践しようとするときに、どのような課題が必要か迷われることでしょう。
 
しかし、今までの経験を生かして小賢しい課題設定をするほど、学び合わせに近づきます。そうです、過去の自分です。小賢しい小技やピンポイントの課題設定を使えば、子どもを手のひらで動かせる自信はあります。でも、koutyさんの「学び合い」を見ていると変な経験がないからこそ、とても潔い「学び合い」になっていることが分かります。
 
「学び合い」の本質は、教師は子どもをどう見るべきか、学ぶということは何かを、子どもと共にひび追究していくことなのだと私は思います。それがあれば、どんな課題であろうと、ぶれた課題であろうと子どもは学びます。その姿を見ていれば、自分の課題がどうぶれているか気がつきます。それでいいんじゃないかしらん。